なぜ、朝日新聞は誤報を繰り返すのか。「朝日の報道が目立っているだけで、新聞社による誤報なんて日常的です」。そう語るのは全国紙で地方支局のキャップを務める30代中堅記者だ。

記者が人間である以上、誤報は消えない
時事通信フォト=写真

「警察や自治体が何かしらの広報文を出したとして、それをもとに記事にしたとします。しかしその後、発表した当局が広報文の訂正をするような事案は頻繁に起こります。新聞社は『記事の訂正は発表訂正によるもの』と、あたかも責任がないかのように装いますが、本来ならば当局の発表を鵜呑みにせず、裏どりして報じるべきです。人手不足という実情はありますが、記者クラブと当局の妙な信頼関係のもと、新聞社が裏どりせずに発表文だけで記事化してしまうことは多々あります」

記者が人間である以上、誤報はなくならない

地方紙の40代デスクはこうも話す。

「先入観によって間違うことはあります。たとえば、火事で老夫婦が亡くなったので警察に電話取材するとします。亡くなった2人の年齢を質問して『82と70』と教えてもらいました。『結構、年の差あるなぁ』と思いつつ、なんとなく『夫のが年上』と思い込み、そのまま次は発火原因を聞いたとします。そしていざ記事にしたら、実は年齢が逆だったと。思い込みに注意しろ、とは記者には言っていますが、人間ってそもそも思い込みをする生き物なんですよね」

しかし、取り返しのつかない誤報とそうでない誤報はあるだろう。夫婦の年齢を間違えても国際問題にはならない。全国紙の政治部記者はこう話す。

「そもそも、新聞記者って結論ありきで取材をしますし、先に“予定稿”を書いてから取材にいく場合も多い。締め切りを意識して仕事をしなくてはいけないので、ある程度は準備する必要があるからです。実際に取材したら予定稿の結論とは違っていた、ということはよくあって、その都度修正すればいいのですが、中に予定稿に沿って誘導的な質問してしまうなどして、真実とは違う結論を導き出す場合もあります」

そしてこうも付け加える。

「間違っても言い出しにくい、という風潮はどの新聞社にもあると思います。小さな記事訂正ならまだしも、ある程度話題になった記事を訂正するとなると、新聞社の信頼も落ちますし、担当記者やデスクの出世に響きます」

とはいえ「記事訂正しても人事査定に響きません」とは新聞社も言いづらい。記者が人間である以上、誤報はなくならないだろう。

(写真=時事通信フォト)
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