「特に重視したのが、とにかくたくさん若い世代のゲイが顔を出すスナップ企画だったり、プロの写真家を起用したグラビア要素の強い写真企画などです。《ゲイ雑誌》という真面目なコンテンツ情報だけにとらわれない、最新のライフスタイルがわかる《バラエティ雑誌》を目指しました」

それが、編集長としての、HIROのこだわりだった。

エロも性感染症啓発もおしゃれも扱う

「いつの時代でもゲイ雑誌にはエロは必須だと思います。なくしてはいけないと思います。でも、自分のなかではエロ雑誌をつくっている気はないんです。世間の人たちは『バディ』に対して、ゲイのためのエロ雑誌というイメージを持っているかもしれないけど、他の編集部員によく言っているのは、『うちらはアウトドア雑誌やアニメ雑誌と同じなんだよ』ということです。自分たちがつくっているのは趣味の雑誌なんです。セクシュアリティだとか難しいことは考えずに、ゲイに関する趣味の雑誌だから、ゲイに関することはなんでも取り扱う。そんな考え方でいいと思っているんです」

好みや嗜好が細分化した現在、総花的な「総合誌」が生き抜くには困難な時代となった。目指すべきは、とことんマニアのニーズに応えることのできる「クラスマガジン」の道を模索することだった。

もちろん、『バディ』では、LGBTや性感染症にまつわる啓蒙企画も積極的に取り組んでいる。その一方ではHIROが口にしていたように、女性誌の定番企画である「気になる人たちの愛用品を大公開 ★バッグの中身見せて下さい。」(2018年7月号)といった気楽に読み進められる特集も掲載されている。

まさに雑多な内容だ。そして、雑多な誌面であるからこそ「雑誌」なのだ。HIROの掲げた編集方針は明快だった。

出会いの場だった新宿二丁目が閑散としている

前述したようにインターネットの発達、そして携帯電話の普及は雑誌のあり方を変え、同時に新宿二丁目という街も変容させた。

21世紀にさしかかったばかりの時期に高校生だったHIROは、この頃から「遊び場」としてこの街に出入りし、その後はプライベートだけではなく「仕事場」として新宿二丁目で生活をしている。

この間わずか20年弱でありながら、この街も大きく変わった。「いまでは新宿二丁目のことを一概に《ゲイタウン》と呼ぶことはできないんじゃないですか?」とHIROは言う。

「……かつては確かにゲイタウンでした。でも、いまでは多様性の街になったというのか、外国人観光客も含めた観光地になったという印象ですね。本当のゲイはもう新宿二丁目には少なくなりました。一時期と比べたら閑散としている印象もあるでしょう。週末なのに人がいない。クラブパーティのときも企画に関係なく人がギューギューだったのに、いまではそのクラブですらアイディアをふりしぼって人を集めている。『みんな一体、どこに行っちゃったの?』って……」