48年前、直感でマスク30枚を大人買い

原田さんがタイガーマスクの姿で新聞を配るようになったのは1972年9月だった。新宿歌舞伎町にある稲荷鬼王(いなりきおう)神社の祭りの屋台でセルロイド製のタイガーマスクのお面を買ったことがきっかけだ。

屋台で売っていた50枚のうち、30枚を買い占めた。一枚500円だったというから1万5000円をお面に払った。

かなり思い切った買い物である。この48年間、お面が壊れたら、修理をしながら大切にかぶってきた。今も当時に買った30枚のお面は数が少なくなったものの、まだ残っている。これからもタイガーマスクを続けられるという。

今回、何度も「なぜタイガーマスクになったのか?」と尋ねた。原田さんの答えはこうだった。「かなり無理があるのは分かっているが、直感だよ。タイガーマスクのお面を見て、これだ! と思ったんだ。ずっと大切にしてきたラブ・アンド・ピースのためだよ」

ピンクアフロのカツラで話す男性
撮影=永井浩

すんなりとは理解できない答えである。「48年前から虎になった。もう人間ではないからね。なぜかと言われても……」と煙に巻く。

人生の選択は必ずしも説明がつくことばかりではない。それは偶然と必然が入り混じったもので、他人にうまく伝えられないものだし、本人でさえも本当のところは分からないかもしれない。

原田さんの人生行路もその類だろう。その人生を振り返りながら選択の理由をこちらで勝手に想像するしかない。

大学を中退して専業の新聞配達員になる

原田さんは1948年2月に長野県の旧波田村(現松本市)に生まれた。いわゆる団塊の世代である。

66年に地元の県立梓川高校を卒業するまで長野で暮らし、身体は頑丈だったという。大東文化大学に合格し、上京。読売新聞の奨学生として東京中野区江古田の新聞販売店に住み込んだ。

その頃は70年安保闘争を前にして各大学で学生運動が激しくなっていた。大学はバリケードで封鎖され、授業は休講ばかりである。朝夕の新聞配達と好きな映画鑑賞の日々を送った。

「権力や筋力とは無縁の人間」という原田さんは学生運動とも距離を置くノンポリ学生だった。次第に大学に通う意味が感じられなくなり、68年に大学を退学。専業の新聞配達員となる。

ピンクアフロのカツラで笑う男性
撮影=永井浩

新聞販売店に住み込めば、新聞配達だけでもそれなりに暮らしていける。「シネマと美女と夢とロマン」をずっと求め続けているという原田さんにとって、夕刊配達後に映画館に駆け込み、シネマの世界に浸る生活はかけがえのないものだった。