最初はバカ、マヌケと罵られ、コーラ瓶で殴られたことも……

会社員ならば人と違うことをしながら仕事をすれば、社内で摩擦を起こすものだが、原田さんの場合も「最初はバカ、マヌケと罵られた」。72年当時に働いていた販売店の店主や75年から働いた販売店の店主である家光茂さんには「本当にお世話になった」という原田さん。

今働いている新聞販売店の代表は家光さんの娘である家光淳子さんである。

「寝坊なんてしないし、仕事はちゃんとやってきた。でも最初は家光会長も戸惑っただろうが、こっちはラブ・アンド・ピースだからね。お客さんのところに集金に行っても喜ばれるし、新宿タイガーはテレビや雑誌でも取り上げられたから、しばらくしたら許してくれた」

ピンクアフロのカツラにタイガーのお面をつけた人が新聞を持っている
撮影=永井浩

おそらく新聞販売店にとって原田さんはちゃんと仕事をこなすうえ、広告塔にもなってくれる貴重な存在だった。しだいに朝日新聞社のイベントにも呼ばれるようになる。

新聞業界にはかつて新聞休刊日に職場ごとに旅行や懇親会を催す慣習があった。「政治部の東京湾でのパーティに招待されてね。新宿タイガーは大したもんだったよ。ワッハッハ」。

もちろんいいことばかりではない。朝刊の配達時には、徹夜で飲み明かした酔っ払いに出くわす。コーラの瓶で頭を殴られたこともあった。

「暴力は嫌いだから、こちらは手を出さないよ。ひたすら我慢だね。相手の私に対する嫌悪感を私の心のうちに秘めて、パワーにしていったんだ」

スマホはまるで「美女図鑑」

上京した1966年から数えれば54年間、新聞配達をしているが、「つらい」と思ったことはないという。お酒を飲んでいても早朝3時半に起きられるようにさっと引き上げる。

「頭は機械ではないのでたまには遅くまで起きて、一睡もせず新聞を配ることもあるよ」と笑う原田さん。それもまた楽しいらしい。  

ピンクアフロのカツラにタイガーのお面をつけて自転車に乗る人
撮影=永井浩

50歳を過ぎたころ、朝刊を配達しているときに左足の太腿が悲鳴を上げた。神経と筋肉が同時に断裂するという大けがをした。

「その日は足を引きずりながら夕刊を配ったが、近くの国立国際医療研究センターに運び込まれ、2カ月間の入院よ。ずっとリハビリ。大変だったのはそれぐらいだ」

原田さんのスマホには女性たちの写真が大量に入っている。夕刊を配り終え、映画を見た後、飲みに行き、店で会ったママや女優、女性客らの写真である。何枚かを拝見したが、ずいぶん若くて綺麗な人ばかりであった。