司法権と立法権の境目があいまい

既存の法を新しい状況にどう適用するかということ自体は、どこの国でもしばしば議論になります。西側の国々であれば、立件を担当する検察当局が「この案件にはこの法律が適用できる(よって違法行為である)」と主張し、裁判所がその可否を法に沿って判断するのが一般的でしょう。そして既存の法がカバーしていない部分については、必要であれば立法府が法改正なり新法の制定なりで対応することになります。

高橋孝治『中国社会の法社会学――「無秩序」の奥にある法則の探究』(明石書店)
高橋孝治『中国社会の法社会学――「無秩序」の奥にある法則の探究』(明石書店)

しかし中国では、中央ではなく一つの省の高等裁判所が、独自に処罰基準を制定できるのです。西側諸国の基準から見れば、検察と裁判所、司法権と立法権の境目があいまいで、「法の支配が成立しているのか?」と問いたくなる事例といえるでしょう。

しかし、中国は単なる「無法地帯」ではありません。一見するとしたい放題に見える中国の司法システムが、実は一定の法理論に基づいているという考察を、筆者は自著『中国社会の法社会学――「無秩序」の奥にある法則の探究』で行っています。

日中の人的・経済的つながりが深まる中、中国の法システムの「常識」を知っておくことは、日本人にとっても重要だと考えます。以下、上記書で述べた内容に沿いつつ、中国の法理の基本について考えてみましょう。

近代法の体系とは異なる中国特有の法則

中国にとっての「法」が、日本をはじめとする西側諸国の「近代法」とは異なる発想を持っていることは、中国法研究者の間では一定のコンセンサスになっています。世間では中国法を近代法と比較して「遅れている」と評価する向きもあるようですが、学者の中には「先進・劣後の関係ではなく、近代法と発想の構造を異にするだけだ」と主張する人もいます。

かつて中国では、憲法上法律の執行について監督を行う最高人民検察院監察局長が、自らのメンツのために、将来自分のライバルになるであろう別の検察幹部を法的根拠なく監禁し、してもいない犯罪を自白するよう迫った事件が発生したことがありました。「法律の執行を監督する」立場にある者が起こした事件である以上、これは一司法幹部が勝手に起こした事件ではなく、「このような事件が起こりうるのが中国の法システム」であり、国家の運用もそれに沿って行われていると考えるべきです。