父から受け継いだ会社を8店舗まで拡大

創業者は葛西さんの父親で会社設立は1971年(昭和46年)。設立当時は1店舗だけで運営していたが世の中はモータリゼーションが始まった頃で、これにうまく乗っかり店舗数を拡大していったという。

「父が亡くなってわたしが跡目を継いだのは1999年(平成11年)でした。その時点で5店舗あったのですがスケールメリットを活かしたいと思い、廃業する同業他社があると経営権を譲り受け、最大で8店舗まで拡大させました」

店舗は川越街道沿いとその周辺道路にバランスよく配置していたので商圏が重複することはなく、どのスタンドも一定水準以上の売上げをキープしていた。ピークは2001年からの3年間で売上げ高は約18億円を計上していた。

「しかし、出ていくものも多かったんです。自動洗車機は4~5年で交換しなければなりませんし、他のスタンドと差別化するためにお客さん用の休憩スペースを各スタンドに設置したり、カー用品の販売も始めたので仕入れ代も必要になった」

冬場は暖房用の灯油を配送するトラックも必要。車両の維持費やメンテナンス費も大きかった。それでも赤字になることはなく、利益もそれなりに確保できていた。

「運転資金にも困ることはありませんでした。展開していたスタンドの半分は自社の土地で1カ所当たりの広さも70坪以上ありました。幹線道路沿いにまとまった土地を持っているのは強みだった」

不景気の波で経営が苦しくなり始めた

金融機関は土地を持っていれば融資を渋ることはなく、借入れ金で古くなった設備の更新もできた。少なくとも2000年代の前半までは何の問題もなかった。

「様子が変わってきたのは2007年に入ってからです。世の中の不景気度合いと比例して販売量が落ち始めました。同業他社との競争も激化しましたね。ガソリンにしろ軽油にしろ、どう考えても仕入れ値より安い値段を付けるところが現われて」

ガソリン1ℓ135円のときに1、2km手前にあるスタンドが133円にしたら、対抗上同額にするか更に安くしなければ客は来てくれない。消耗戦に突入してしまった。

「世の中も不景気だったから大口の得意先だった運送会社が規模を縮小したり、廃業するところもあり売上げが下降の一途をたどりました」

暖房用の灯油も昔と比べると販売量が大きく減っていた。そのことも経営状態の悪化に拍車をかけた。