最後に、愛想笑いが得意な人。人と会話をしていても、自分に自信がないので自らボールを投げることができず、ただヘヘヘッと笑うことしかできない人です。

これらの特徴を持つ「いい人」は周囲から見れば、単なる「都合のいい人」です。敵をつくることはないかもしれませんが、確実に人生を蝕まれていきます。

それでは、「いい人」であることの弊害を具体的に説明しましょう。まず、自分の心が消滅します。僕は以前ブラック企業で「いい人」をしていたことがあるので、身をもって言えるのですが、はっきり言って「家畜」と同じ状態です。上司に対し、心の中では「ばかじゃねえの、こいつ」と思っているのに、そういった感情を押し殺して「そうですね」と受け答えしていました。そんな毎日を繰り返していくうちに、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまったのです。

そうなると感性も鈍りますし、面白みもなくなり、人を思いやる余裕やリーダーシップも枯渇します。他人の言いなりになっているので、何か物事を構想する力も消えます。

そのような状態では、成功者になれません。仕組みをつくることができないからです。

「いい人」をやめれば幸せになれる

成功者というのは、プロ野球選手などピンで活躍する人は別として、チームをうまく機能させる仕組みを持っています。「いい人」はそれが苦手。人に何かをやってもらうことが悪いことだと思い込み、全部1人で丸抱えしようとします。他人をプロジェクトに巻き込むことは、ある種その人の人生を充実させるステージをプレゼントしているのに、「いい人」は「人に仕事を押し付けて悪いな」と勘違いしちゃうんですよね。

それでは、なぜ人は「いい人」になってしまうのでしょうか。これには3つの理由があります。

1つ目は、人間が持つ「自分を高く売りたい」という自尊心が関係しています。尊敬されたいし、給料も高くもらいたいし、魅力的だなと思われたい。だからこそ仕事だって頑張るわけです。だから、人間関係で不快なことがあったり、嫌な仕事を押し付けられても、気持ちを殺して耐えてしまうんですよね。

2つ目は、「奉仕のマジック」に囚われること。一般的に、奉仕は素晴らしいものとされている。奉仕自体はすごくいいことで、他人を幸せにするし、幸せになった人を見てこちらも幸せになります。ただし、それは奉仕を自分の意思で選んでいる場合のみ。本当は自分がやりたいことではないのに、気が付いたら「奉仕」という十字架を背負わされている人は要注意です。