小池都知事はデータや医学的根拠がなく、あいまいな説明に終始

一方、小池都知事は3月25日夜に新型コロナウイルスについて初めての会見を行った。フリップ(説明用の資料)を用意し、「感染爆発 重大局面」と視覚的にアピールするなど工夫も見られたが、データや医学的根拠がなく、あいまいな説明に終始した。たとえばこんな発言だ。

「平日につきましては、できるだけお仕事は、ご自宅で行っていただきたい。もちろん職種にもよりますが。それから夜間の外出についてもお控えいただきたい。この週末でございますが、お急ぎでない外出はぜひとも控えていただくようにお願いを申し上げます」
説明用の資料
説明用の資料
説明用の資料
説明用の資料

非常にまどろっこしい。外出を控えるのはこの週末だけで、平日はいいということなのだろうか。「お急ぎでない」とは何だろうか。なぜ、「職種にもよるが、仕事はなるべくご自宅で行い、今後は、平日・夜間・週末を含めて、外出は控えていただきたい」とシンプルに言えないのだろう。

彼女のプレゼンでの強みは、決して怒りを見せない感情のコントロール力である。それは今回も発揮され、常に柔らかい表情をつくっていた。ただ、ときおり笑顔ものぞかせていた。それは緊張を和ますための戦略なのか、単なる愛想笑いなのか。平時ではない「重大局面」にありながら、なんだかひとごとのような、のんびりとした印象を受けた。

言葉を発すれば伝わると思い込んでいる

小池都知事は3月27日と30日にも会見を開いたが、残念ながらその印象は初回から変わっていない。直近の30日の会見は表情が厳しくなり、配布資料なども用意されたが、結局、印象に残ったのは、「夜のクラブやバーを控えて」と言うメッセージだけ。「外出自粛」を求めるものではなく、これでいいのかと戸惑いを覚えるものだった。しかも会見場はぎっちりで、ゴホゴホとせきをしている人がいるのがとても気になった。

小池知事 記者会見(令和2年3月27日)
小池知事「知事の部屋」より
小池知事 記者会見(令和2年3月27日)

有事のときのリーダーは、自らの一挙手一投足が国民一人ひとりにメッセージを発していることを強く意識すべきだ。しかし日本の多くのリーダーは、ただ言葉を発すれば伝わると思い込んでいる。それだけでは意図通りの効果を発揮するとは限らない。

言葉を発することはあくまで手段であり、目的とすべきはどういった行動や感情を喚起するかだ。安倍首相や小池都知事をはじめ、日本の多くのリーダーはそうしたゴールイメージを計算できていない。

「プレゼンやスピーチは音響芸術である」

これは、くしくも、安倍氏のスピーチライターで、内閣官房参与である谷口智彦氏が筆者に述べた言葉である。であれば、こうした非常時にはなおさら、舞台装置も演出もジェスチャーも声も含めた総合的なパフォーマンス戦術を徹底して考え抜き、「演じ切る」覚悟が必要なのではないか。