ブランドを身に着けたほうが多くの寄付をもらえた

街を歩いているとき、にこやかに近づいてきた見知らぬ人から「アンケート調査にご協力をお願いできませんか?」などと話しかけられた経験を、誰でも一度や二度は持っているのではないかと思います。こうしたアンケートに応じる人は実際、どのくらいいるのでしょうか?

オランダ、ティルブルグ大学のマイヤーズらの研究によれば、近づいてきた調査員の服装によって、アンケートに答えてくれる人の割合が変わったといいます。

まったく知られていないブランドのロゴがついたセーターを着ていた場合には、アンケートに答えるのを承諾した人は約14%でした。だいたい7人に1人くらいです。しかし、ラコステのワニのロゴがはっきりわかるセーターを着ていた場合には、なんとアンケートに答えてくれた人の割合が約52%になったのです。

実に半分以上の人が、調査員が見知ったブランドのセーターを着ていただけで、協力的な態度をとった、ということになります。

寄付金の額についても同じような結果が報告されています。

ここでもなんと、見知ったロゴつきのセーターを着て依頼した場合には、そうでない場合に比べて、寄付金の額が倍になったのです。

有名ブランドのロゴつきセーターを着ている人は、それを買えるだけの経済的余裕のある人なのだろうという推測ができますから、この結果は不思議なことが起きているようにも見えます。

「独裁者ゲーム」においては、より持たざる相手に何かを与えたいという気持ちが生まれるわけでもなく、より持てる相手にねたみを感じるなどして配分率を下げたりするわけでもなかったのです。

人は何のために消費をするのか

それでは「裕福な相手に、より多くを与える」という一見不合理な選択を私たちがしてしまうのは、一体なぜなのでしょうか?

従来の、消費についての社会学的な理論ではこれをうまく説明することができませんでした。

たとえば、フランスの社会学者ブルデューは、消費を促進するのはディスタンクシオン(卓越性)への欲求であると分析しています。文化財の消費、またそれらへのアクセス権の独占を目的として行われる経済行動は、卓越化という利益を期待して行われるという考え方です。

また、自己肯定のために人間はブランドを必要とする、という主張や、いつか訪れる死への怖れを超克するために金銭的価値への執着が生まれるとする立場もあります。

これらの理論が展開するような、地位をめぐる競争に勝利し、自分が劣っているという屈辱を晴らすために消費が行われるのだ、という主張について考察を加えてみると、消費は競争を助長し、人間同士の社会的距離を広げる行為である、ということになります。