スレイマニ司令官の「コッズ部隊」は世界シーア派革命の推進機関

1979年のイラン革命は、時の王政が進めた新自由主義的経済政策が生み出した経済格差への不満を背景に、国王パフレヴィー2世を操る米国を「悪魔」と断じたシーア派の法学者ホメイニの呼びかけで始まりました。

ホメイニは超法規的な最高指導者、「イマームの代理人」として革命を指導し、隣国とのイラン・イラク戦争では「殉教者」を募集し、革命防衛隊を組織しました。イラン人の多くの家庭にはこの戦争で犠牲となった家族の記憶が生々しく残っています。

カシム・スレイマニも殉教者を志願した若者の一人で、サダム・フセインのイラク軍を相手に軍功を重ね、対外謀略を専門とするコッズ部隊の司令官に抜擢されました。シーア派はイランで圧倒的ですが、隣国イラクでも人口の約半数を占め、ペルシア湾岸諸国、シリア、レバノンまで広がっています。

これらの国々ではスンニ派政権のもとで、あるいは弾圧され、あるいは政治的権利を奪われてきました。スレイマニのコッズ部隊はこれらの国々に潜入し、シーア派の民兵組織を訓練し、武器を提供し、スンニ派政権の転覆を図るのが任務です。世界シーア派革命の推進機関なのです。

日本との類似性、「水戸学」と幕末維新のエネルギー

日本では皇統は維持されましたが、中臣鎌足を祖とする藤原氏や、武家政権が天皇の政治権力を奪いとりました。そのなかで、後鳥羽上皇、後醍醐天皇のように天皇親政に戻そうとする動きが何度かありました。

日本史を、天皇を支える「忠臣」と、天皇を無力化する「逆臣」との抗争として描くのが水戸学です。徳川御三家で、「水戸黄門」とも呼ばれた水戸光圀が刊行を命じた『大日本史』に流れる歴史観です。

水戸学の完成者・藤田東湖は、「尊皇」という大義のために殉教する美しさを説き、幕末の志士たちに大きな影響を与えました。ペリー来航という国難にあたり、倒幕運動、明治維新のエネルギーを生み出したのは、まさに水戸学でした。

同時に、目的が正しければ結果は問わない、「悠久の大義」に生きよ、というファナティックな思想は、昭和恐慌期に拡大再生産され、天皇を長とする世界統一、「八紘一宇」の実現を説く日本版世界革命論に昇華し、ついに対米開戦と神風特攻、4年後の亡国に帰結したのです。