【柳井】やっぱり僕らの業界で、世界的な大企業になったところですね。一番最初は、英国の小売業大手「マークス&スペンサー」だったし、その次はアメリカの製造小売業大手「ザ・リミテッド」や「GAP」です。「ザ・リミテッド」は最短で1兆円企業になった。その当時、香港の工場で製造して、ジャンボジェット機でオハイオ州のコロンバスに製品を送っていたんですよ。それぐらい革新的なことを、1980年代初頭にやっていたんですよね。

時事通信/AFLO=写真
2019年、ユニクロのインド1号店をオープン。海外進出が加速する。

今だったらZARAを運営するインディテックスとかH&M、それにスポーツメーカーのNIKEやアディダス。アマゾン・コムなんかもそうですよね。そういった、世界中の優れた企業が先生ですね。

【本庶】柳井さんは山口県の宇部市でお父さんの事業を継いで、ここまで発展させてきたわけですが、世界に目を向ける転機はどこにあったんですか。

【柳井】若い頃からアメリカの文化が好きだったので、年に何回か行っていたんですよ。商売のインスピレーションが湧いたのは、アメリカの大学の生協なんです。

【本庶】ほお、どこの大学ですか。

【柳井】UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)やハーバード大学ですね。何校か行ってみて気づいたのは、商業の匂いがしないことでした。セルフサービスで、学生にとって必要なものだけを売っているでしょう。「こういう商売のやり方がいいな」と思って、「雑誌を売るように服を売りたい」というのが、最初のユニクロの成り立ちです。

それと、香港でもインスピレーションがありました。当時は、欧米のメーカーの東南アジアにおける生産拠点でした。ある工場で、ロンドンストライプのシャツをGAPの1店舗が500枚オーダーしたと聞いて、そんなにたくさん売れるものなのかと驚きました。

そこから、大量に作って大量に売るという商売を日本でやってみたいと思ったんです。今の業態を始めて、宇部から東京へ出るまで30年かかりました。東京から海外に出て行くまでは、3年でした。東京の人は東京の価値に気づいていないけれど、やはりビジネスの世界では、東京は世界に通じているんですよ。

異分野の人間と交流せよ

【柳井】僕が一番心配なのは、日本人があまり勉強をしなくなったことです。勉強しても紋切り型です。

【本庶】私は初等・中等教育に一番の問題があると思っているんです。小学校に入学すると、どの子も「はい、はい」って手を挙げるのに、卒業する頃には挙げません。型にはめてしまったせいで、周りを気にするんですよ。だから大学生になっても、ほとんど質問をしません。これは非常に大きな問題です。

私の研究室は、半分以上が外国からの留学生です。中国、韓国、インド、中東のイランやオマーン。極めて国際的で、チャレンジ精神があるからみんな優秀です。