遺骨で仏像をつくるお寺が関西屈指の参拝客数を誇る理由

久しぶりに一心寺を訪れてみた。通天閣から徒歩5分ほどの場所にある。一心寺は観光寺院ではないので全国的な知名度はさほどではない。だが、常に人々が往来し、賑々しい雰囲気である。本山格でもない一般寺院としては、一心寺は関西屈指の規模と参拝客数を誇っている。

境内には骨仏納骨の受付があり、平日にもかかわらず数十人が列をなしていた。骨仏にしてもらうための遺骨を持参してきているのだ。一心寺は郵送での遺骨を受け付けていない。

骨仏は現在では10年間にわたって遺骨を集めて1体を造立することになっている。増高は5尺(1m50cm)である。納骨堂には8体の骨仏が安置されている。遺骨の総数は200万柱。間違いなく国内最大の永代供養であろう。

遺骨で仏像をつくるなんてグロテスク、と眉をひそめる人もいるかもしれない。だが、教えられなければ骨でつくられた仏像には見えない。遺族は実際に祀られている阿弥陀仏を前にして、亡き人の面影をそこに見るとも言われている。現在、大阪市の無形民俗文化財にも指定されている。

撮影=鵜飼秀徳
10年で1体造形される骨仏

ここ10年で納骨が急増の背景に「永代供養」「墓じまい」

2017年、最も新しい骨仏の開眼が行われた。造立されまだ3年しか経っていない骨仏は、遺骨の色がそのまま残り、純白だ。だが、次第にろうそくや線香の煤がついて黒ずみ、風格がでてくる。

最古の骨仏は1887(明治20)年造立だという。1851(嘉永4)年から36年間かけて集められたものだ。この時、集められた遺骨5万柱以上と言われている。戦前までに6体がつくられた。しかし、それらは大戦中の空襲で消失してしまった。

焼け跡から6体分の遺骨を拾い集め、戦後に納骨された分と合わせて1体が造立された。そこから、現在まで、10年に1期ごとに1体がつくられてきている。

遺骨の数も、時代を反映する。戦後から2006年まで、1体あたりの納骨数は約13万柱~16万柱で推移してきた。分骨用に小分けされた骨の場合は、さほどの分量にはならない。なかには全骨を納めたいというニーズもあり、一心寺側は応えてきた。それでも、10年間で1体の造形ペースは保ててきた。

それが、直近の2007年から2016年までの納骨数は22万柱と急激に増え、いよいよ「供給過多」になってきたのだ。増えた分は蓮台や光背を大きくすることなどで対処してきたが、それも限界点を迎えているという。