驚くほど低かった「日本のステイタス」

他にも注意して見ると、たとえば当時のヴォルフガング・サヴァリッシュの英語のプロフィールには、最後に一言、「His activity includes Far East(彼の活動には、極東も含まれる)」と書かれているだけでした。彼は1960年代からほぼ毎年来日し、1ヵ月間日本に滞在してN響と共演し、1967年にはN響の名誉指揮者に就任しているにもかかわらずです。

これが世界における日本のクラシック音楽界のポジションなのだ。私はそう認識せざるをえませんでした。

日本におけるクラシック音楽の歴史を一口に語ることはできませんが、それでも明治以来、すでに長い歴史を刻み、特に戦後の音楽界の発展には目を見張るものがあったと思います。そして、1970年の大阪万国博覧会を境に、日本社会は大きく変わり、海外のオーケストラやアーティストが大挙してやってくるようになっていました。私が学生時代を過ごした1970年代後半になると、すでに東京にいながらにして、世界中のオーケストラの演奏を日常的に聴くことができる環境となっていました。日本のオーケストラも、N響をはじめとする数々のオーケストラが活動するようになっていましたし、世界の一流指揮者やソリストが常に共演していました。

それなのに、世界の音楽界における日本のステイタスが、理不尽なほど低い状況に置かれているのは一体なぜなのだろう。そんななかで、私は指揮者としてどんな道を辿たどるべきなのだろう。そんな問題意識が強く芽生えました。

留学をすれば成長できるのか

どの分野でも同じだと思いますが、勉強する、自分を磨くということは、究極的には自分自身との闘いです。音楽についていえば、自分の部屋で、目の前にある譜面と向き合うということが、音楽づくりの本質です。そうやって自分を深く掘り下げていく作業を行ううえでは、ウィーンにいても東京にいても変わりません。

もちろん、環境は大切です。外国の歴史、言語、町並みなど生活環境に刺激を受けながらそれを咀嚼し、糧にしていくことも重要です。しかし、単に海外に留学すれば何か起きて自分が成長できるとは限りません。

高校を卒業して大学に入るとき、留学を考えた時期もあります。当時お世話になっていた岡部守弘先生が、ヨーロッパの音楽学校めぐりをするから一緒に来てみないかと誘ってくださり、春休みに2週間ほどヨーロッパを旅行しました。良い先生や学校に出会えたら留学を考えてみようと思って見てまわりましたが、そのときにはここだという場所を見つけることはできませんでした。

また、定期的にお目にかかっていた渡邉暁雄先生に、留学することに興味があるとご相談したことがありました。渡邉先生がおっしゃるには、常時学校で教えている先生には一流の指揮者はなかなかいない。現場が忙しい演奏家はあまり学校には行けないのだということでした。それで、留学といっても、行けば必ず何かを学んで大きく変わることができるという単純な話ではないのだと知りました。