クラシック音楽はアニメや小説の題材としてたびたび使われている。その一方で、クラシック音楽そのものはほとんど話題にならない。指揮者の大友直人氏は「クラシック音楽の当事者たちが『良い』とする価値観を観客に押し付けてきたツケではないか」と危機感を表す――。
※本稿は、大友直人『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
アニメや小説の題材になるのは架空の世界
まだ私が若かったころ、クラシック音楽の世界というものは、確たる輝きを持ったキラキラした世界でした。指揮者で言えば、カラヤン、バーンスタインが君臨し、ピアニストにはホロヴィッツやルービンシュタイン、歌手にはマリア・カラスがいて……。クラシックはとてつもない特別感のある世界だったのです。
ところが、いつのころからでしょうか。このキラキラした特別感がクラシック音楽の世界から消えてしまったように思うのです。世界中にその傾向があると思われるのですが、とりわけ日本のクラシック音楽はその傾向が顕著です。
アニメや小説の題材に使われて話題になるのは架空のクラシックの世界なのです。あらゆる「芸術」と呼ばれるジャンルのなかで、なぜかクラシック音楽だけが、世間から取り残され、あまり話題にもならなくなって久しいと思います。