横綱としてのプレッシャーだけではなかった
――横綱としてのプレッシャーだけではなかったのですね。
常に崖っぷちにいる気持ちでした。ケガで休場しているときでも、「引退」という2文字がいつも頭にあって、ゆっくりと眠れなかった。ところが日本人になった今は、ぐっすり眠れます。ほんとうに心安らか。味わったことのない気持ちですね。
――日本への帰化について、モンゴルの白鵬ファンたちの気持ちは複雑だったのでは。お父さまもモンゴルの英雄ですし(モンゴル相撲元最高位。レスリング選手として同国史上初の五輪メダリストに)。
わたしがモンゴルへ帰ることを望んでいたかもしれません。歴代の横綱、朝青龍関、日馬富士関もそうでしたから。でも、わたしが日本人の奥さんと結婚したあたりから、モンゴルのファンには心の準備ができていたかも(笑)。失望よりも応援してくれる声が大きかった。親父も賛成してくれた。亡くなる数年前、思い切って帰化のことを相談すると、「我が道をいけ」と言ってくれましたね。レスリングの指導者・監督として世界中を見てきた親父だからこそ、後押ししてくれたのかなと。
――大相撲のほとんどの記録を塗り替えてしまった今、どこにモチベーションを見出すのでしょう?
いやいや、そんなことない。双葉山関の69連勝を超えるのは難しい(笑)。まず、2020年の東京オリンピック・パラリンピックのときには最強の横綱でありたいですね。
――先ほどの「常に崖っぷちにいる」という気持ちですけど、白鵬関の取り口が荒っぽいという批判の声も多かった。その心理とは無関係ではなさそうですね。
横綱はとにかく結果が大事。結果が残せなかったら引退だから。
――やはり「優勝」なのでしょうか。
そこは自分でも面白い変化がありました。大鵬さんの記録(優勝32回)を超えるまでは、ものすごく意識していた。でも、記録更新が迫って33回目の賜盃を抱く前には「優勝」の意識が消えてしまった。「1047勝」(魁皇の持つ幕内通算勝ち星記録)を超えることに気持ちが向きました。横綱は優勝することがとても大事だから、自分の気持ちが理解できなかった。
そんなとき、野球の王貞治さんとお話しする機会がありました。王さんは大鵬さんと同世代ですし、数々の大記録を持っている偉大な方ですし、日本を代表するプロスポーツ選手ですし。
――巨人・大鵬・玉子焼きですね。
「モチベーションが落ちてしまった」とわたしが言うと、王さんは、「記録を塗り替えるというのは、通過点なんだよ。40回優勝した人は誰もいないし、これからも出てこないよ。そこを目標にしたらどうか」って。そうきいたとき、火がついたように体が熱くなりました。王さんにしか言えない言葉だと感動しました。横綱はやっぱり優勝なんだ、と。自分でもメンタルの切り替えは速いと思います。