かつて銀貨鋳造所があった東京・銀座の名を冠した地名は全国に約20カ所ある。銀が採れない場所にもなぜ「銀座」は広まったのか。地図研究家の今尾恵介氏は「銀座は戦前からすでに『ブランド地名』だった。町で1番の繁華街に名付けることで『あやかり銀座』は増えていった」と指摘する――。
※本稿は、今尾恵介『地名崩壊』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
銀座の正式名称は「新両替町」だった
ブランド地名とは何だろうか。端的には「不動産が高く売れる地名」であり、また「観光客を誘致できる地名」であろう。具体的には商業地では東京の銀座であり、住宅地なら同じく23区内では田園調布や成城、市名で言えば兵庫県芦屋市あたりも知られている。リゾートであれば軽井沢といったところだろうか。勝手な印象で「定義」するよりも、人気のある地名ゆえにエリアが拡大する傾向をもつブランド地名の動向を把握することにより、その実態を浮かび上がらせてみようと思う。
まずは東京の銀座である。周知の通り江戸幕府の銀貨鋳造所である「銀座」が置かれていたことに由来するが、慶長17(1612)年に駿府(現静岡市)から銀座を江戸に移し、座人の居宅と鋳造所のために京橋の南側4町が与えられたのが始まりだ。この4町は現在の銀座一丁目から四丁目のうち中央通りに面した部分で、このあたりの街区は南北幅がちょうど1町で設計されているので、その4ブロック分であった。今もこの南北の寸法は基本的に変わっていない。
寛政12(1800)年に鋳造所が日本橋蛎殻町に移転してからは銀座の所在地ではなくなったが、そもそも江戸期の「銀座」は通称で、正式には新両替町と称した。これが正式な町名として銀座に決まるのは明治2(1869)年のことで、当初は拝領当時と同じエリアの一丁目から四丁目までであった。