世田谷区の「成城」はかつて新宿区にあった

東京では世田谷区の成城もブランド地名である。東京市牛込区(現新宿区)にあった成城第二中学校が昭和2(1927)年の小田急線の開業の2年前に北多摩郡砧村大字喜多見の台地上に移転したのがきっかけだ。

一帯はその後、成城学園を中心とした計画的な学園都市として整備されていく。明治町村制当時の地名は砧村大字喜多見字東之原(駅の所在地)であったが、宅地開発が進んでいた昭和5(1930)年には大字喜多見のうち学園都市エリアのみ学校名をつけた「喜多見成城」として分離、小田急線から北側を字北・南側を字南に分けた。

昭和11(1936)年に砧村が東京市世田谷区に編入されてからは成城町と改称、喜多見から「完全独立」した。そして昭和45(1970)年からは住居表示実施の規程により「町」を外して現在の世田谷区成城に至っている。

新宿から各駅停車で24分(昭和3年5月改正ダイヤ)と便利で環境も良いため、作家や大学教授など「文化人」が多く住むようになった。また東宝撮影所(当初は写真化学研究所=東宝の前身・現東宝スタジオ)が昭和7(1932)年に南端に開設された後は映画関係者なども住み、独特な文化的住宅地のイメージが定着していく。

現住所よりブランド地名に寄せたがるマンション

ブランド地名としての威力は大きい。北に隣接する調布市入間町の南部は成城学園前駅から1キロ内外であることもあって、成城を名乗るマンションやアパートが目立つ。入間町三丁目だけでもグレイスガーデン成城、アーバンヒルズ成城、メゾン成城、メゾンK成城、サンビレッジ成城、サミール成城、アーバンハイム・成城、ラ・メール成城、成城2番館、成城3番館などなど、キリがないほど多い。むしろ現地の正式町名である「入間町」を名乗るものを探す方が難しく、やっと1つだけ見つけたのは「都営入間町三丁目アパート」。都営なら「成城」をアピールする理由がないということだろう。

これらの成城を名乗るマンションに住む人は、居所を尋ねられたら「成城です」と答えるのだろうか。失礼ながら、怪しい防火用品などを売りつける訪問販売人が「消防署の方から来ました」と言うのに通じるけれど、いつも成城学園前駅を利用しているのなら、あながち虚偽とも言えない。