「あやかり銀座」の先駆けとなった戸越銀座商店街

『角川日本地名大辞典』DVD‐ROM版の「銀座」の項によれば、昭和5(1930)年の銀座大拡張あたりから「モダンな繁華街の代表として有名になり、各地に銀座名を付した商店街が多くなった。ちなみに現在全国の銀座数は500余あるという」としている(昭和53年発行『角川日本地名大辞典 13東京都』の記述と同じ)。

東京では品川区の戸越銀座商店街が「関東有数の長さを持つ商店街」として有名だ。東急池上線に戸越銀座駅もあるが、そもそも大正後半から人口が急増していた当地に商店が集まりつつあった時、関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京の銀座で出た大量の煉瓦の瓦礫を引き取って水はけの悪かった地面に敷き詰めた。この縁に加えて銀座の繁栄にあやかろうとして戸越銀座が命名されたというが、町名はあくまで戸越であった。

全国各地に叢生そうせいしたという多数の「銀座」の中でも正式な町名となったケースはそれほど多くない。実は銀貨鋳造所にちなむ銀座は京都市伏見区にもあって、こちらは東京以外で唯一現存するホンモノの銀座であるが、それ以外の「あやかり銀座」は、「銀座町」や「銀座本町」「銀座北」なども含めた数でいえば『角川日本地名大辞典』によれば18にのぼる。

山口県に有楽町、新宿通、代々木通がある謎

このうち最も古いのは長野県飯田市銀座で、昭和27(1952)年に誕生した。元は飯田市大字飯田のうちで、通称地名としては昭和5年から見えるとのことで、戦後に正式町名になっている。『角川日本地名大辞典』では「旧飯田町の中で最大の繁華街を形成した。正式町名となって以降も各種商店が軒を並べ、盛況な町筋として発展した」としている。やはり町一番の目抜き通りに「銀座の称号」は与えられるのだろう。

次が栃木県鹿沼市銀座で、同29年から。「繁華街であったので銀座と名付けられた」とする。同32年には愛知県半田市に銀座本町が誕生している。同35年には山口県徳山市(現周南市)に銀座ができた。徳山海軍燃料廠の所在地として太平洋戦争時の空襲がひときわ激しく、復興地区に命名されたものには東京の地名がなぜか多い。同年には有楽町、新宿通、代々木通も誕生している。

私が徳山のある飲食店で昼食をとった際に、東京の地名がなぜこれほど多いのか質問したら、「長州藩は近代日本の基礎を作ったから、本当は(町名も)こっちが先なんだ」という答えが返ってきて絶句した覚えがある。後で徳山の市史を調べたら、当然ながら戦後の地名であることが明記されていたが。