両親は最低賃金でパート、常態的な貧乏

週3日、金土日に出勤している。客はそんなつかない。一日の収入は多くて2万円、0円の日もたくさん。

ちょんの間だけど、一応ベッドがあってそこで休めるし。一番大変なのが通勤で仕事より、行き帰りに体力を使う。だから金曜日に出勤して2泊くらいして、残りを自宅で過ごしています。

カラダがキツイからお客がついても、他の人にまわしてとか。お金は全然ないです。抗がん剤の副作用と利尿剤で栄養分をとられるんで、カラダには負担になる。

お店も人も知っているので無理はしないように気を使ってもらっています。

末期がんになっても、風俗を続ける理由は「家族に迷惑かけたくないから」という。父親と母親は非正規の最低賃金のパートをしていて、世帯は常態的に貧乏だ。自分の携帯代や食費、抗がん剤の自己負担は自分で支払いたいと思っている。だから、カラダが動くうちは風俗で働く。

家では家事を手伝う。洗濯物を干したり。お皿を洗ったり。あとはネットのグループでおしゃべりしたりとか。ゲームとか。

ネットの友達とはゲームの話をしています。いまは末期がんだけど、精神的におかしかった(双極性障害)3年前より、今のほうが体調はいいかもしれません。

あの頃はハイとローの差がすごくあって、たぶん前にお会いしたときはローのときで喋るのもやっとみたいな。

恋人からの暴力で始まった転落人生

新垣さんは、元々は驚くような美人だ。琉球大学在学中に起こった自衛隊員の恋人からの暴力で精神を破壊し、昼間の仕事ができなくなった。松山のキャバクラ嬢になって、有名な高級店でナンバー2まで上がっている。

沖縄の頂点である琉球大学生からキャバクラ嬢になり、そして、精神疾患が原因で夜の世界でもキャバクラからどんどんとランクを落としている。現在、ちょんの間で客をとる売春婦だ。たった10年間で沖縄の頂点から最下層に転落したことになる。

繁華街までは無理とのことで、一番近くにあるファストフードに行くことにした。店内は空いていた。マスクと帽子をとった姿を見せてもらえないか、と頼んでみた。彼女は「いいですよ」と、マスクと帽子をとった。

老婆のような姿があった。あまりの変貌に息をのむ。美しかった面影はほんんどない。髪の毛は抗がん剤の副作用で半分くらい抜け、白髪まみれ。顔色は悪く土色、顔の肌も老化してたるむ。お礼をいって戻してもらった。