昭和末期を代表する政治家・中曽根康弘元首相が亡くなり、中曽根氏の政治や人柄をほめたたえる記事が新聞各紙にあふれた。しかし礼賛するだけでいいのか。令和の日本は「中曽根型」の政治では解決できない社会になっていると橋下徹氏は指摘する。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(12月3日配信)から抜粋記事をお届けします。

国と地方は「上下」から「役割分担」の関係に

「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄民営化などの行財政改革や強固な日米関係の構築といった数々の業績を残した元首相、中曽根康弘さんがこのほど101歳で亡くなった。

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写真=時事通信フォト
若手をたたえる賞の授賞式に出席した中曽根康弘元首相=2018年7月6日、東京都千代田区

政治は時代の変遷とワンセットだ。中曽根さんの政治は、その当時の時代とはよくマッチしていたのだろう。

敗戦国日本。焼け野原の中からスタートし、復興どころか世界の経済大国、先進国の仲間入りを果たした。その総決算としての中曽根政治は、ある意味、国家を前面に出し、永田町・霞が関という東京中心のエンジンによって、中央集権体制的に国家を運営していくことが時代にマッチしていた。

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日本はイケイケどんどんの時代が終了し、国民の価値観が多様化し、そして地方部の過疎化が深刻化してきた。少子高齢化に対応する政策は必要性を増すが、それにあてる財源はどうするか? という大きな課題にぶつかっている。

このような時代においても、中曽根政治のように中央集権的に、永田町・霞が関が日本全体の政治行政の舵取りができるのか。

それは違う、というのが僕の持論だ。