政治と行政がごっちゃまぜだった時代の産物
政治は時代とともに変わるというマクロ的な大きな話を述べたけど、ミクロ的な細かな視点で見れば、首相主催の「桜を見る会」も、時代とともにその役割や意義が変わってきた。「桜を見る会」の問題は、政治と行政の関係が時代とともに変化してきたことに国会議員たちが気付かなかったことが最大の原因である。
「桜を見る会」は、1952年、日本の主権を回復したサンフランシスコ講和条約の発効を機に、吉田茂首相が開催した。
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当時は政治と行政はごっちゃまぜ。
政権を獲った政党(与党)が行政(政府)を動かす。議院内閣制によって与党と政府は一体化している。よって首相(内閣総理大臣)主催といっても、それは与党自民党総裁主催と混同視され、参加者である各省庁の大臣たちも、与党自民党国会議員の立場と混同視されていた。
首相(内閣総理大臣)は政府(行政)組織のトップであり、与党自民党総裁は政治家集団のトップであるが、両者の区別は厳格にはなかった。大臣も各省庁という行政組織のトップであるが、自民党国会議員という政治家の立場との厳格な区別はなかった。そういう時代だった。
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野党は「桜を見る会」問題が政権を倒す糸口になるだろうという強い思いで、追及の姿勢を強めている。政府与党に問題があれば追及するのは野党の役割なのでそれ自体は否定しない。
しかし過去の森友学園問題や加計学園問題のように、政権を倒す意気込みで追及しながら結局不正を明らかにできずに、グダグダになって終わってしまうようであれば、国民の大きな支持はついてこないだろう。
前号でも述べたが、不正が立証できなければ不適切な問題として扱い、新ルールや新制度を提案していく姿勢を強調すべきだ。
さらに、小学生のときに「ごめんで済んだら警察はいらねえ」とよく言っていたものだが、「謝って済む問題」と「謝っても済まない問題」の区分けも重要だ。
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そして、安倍政権・日本政府の度重なる記録廃棄問題こそ、謝っても済まない問題だと思う。
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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.178(12月3日配信)の本論を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【桜を見る会問題(2)】国と地方の関係性、政治と行政の厳密な区分け……中曽根さんの時代と令和の政治はこんなに違う!》特集です。