国(中央政府)は、流動化している国際政治に対応するためにも、外交・安全保障に集中し、医療・教育・福祉といった内政問題は地方が責任をもって対応する。国がすべての財源を用意するのではなく、地方が責任をもつべき政策については地方が責任をもって財源を用意する。

このように国と地方との関係は、中曽根政治までの「上下の関係」から「仕事の役割分担の関係」に移行しなければ、今後の国難を乗り切ることができない。だから、これからは地方政治を重視すべき時代に突入する、というのが僕の政治観だった。

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地方創生という言葉は、これまで何度も聞かされてきた。その国家戦略は何度もつくり直されてきた。しかし一向に地方は創生しない。

自治体が地方創生プランを作って、霞が関の内閣府の課長レベルにチェックしてもらい、OKが出たら、わずかばかりの補助金をもらう。こんな仕組みで地方が創生するわけがない。

ゆえに大阪においては、大阪の政治の力で大阪の課題を乗り越えようと決意し、大阪都構想を掲げ、大阪の改革にまい進し、そのために大阪維新の会という政治勢力を作った。そして必要なところでは、安倍官邸・永田町・霞が関のサポートを受けてきた。

その結果、今、大阪は元気になりつつある。2025年の大阪万博や、カジノを含む統合型リゾート(IR)実現に向けて、大きく動き出した。夢や希望が大阪に徐々に芽生え始めた。

今や、地方の活性化は、永田町・霞が関が旗を振るだけでは実現できない。まずは地方の政治の力が重要になる。かつての田中角栄首相の時代や中曽根さんの時代とは異なるんだ。

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「国会議員が一番上」という常識はもう通用しない

中曽根さんは、このような時代の変化に伴う地方政治の重要性の認識を持つことはなかったようだ。

僕が日本維新の会を立ち上げ、これからは地方の政治が重要になるということを主張していた時に、中曽根さんは地方政治を軽視するような発言を繰り返していた。もっといえば、国会議員が上で地方政治家は下という認識。地方政治家の殻を破らなければ、政治家としてはまだまだだ、という感じだった。

戦後焼け野原から日本が世界の大国に並んでいく過程においては、政治家といえば国会議員だったのだろう。そして社会においても国会議員はある種のエリート層であったのだろう。

しかし今の時代は違う。国民一般の教育レベルは上がり、国会議員よりも優秀な人材は民間に山ほど存在する。むしろ昨今の国会議員の様々な不適切な言動を見れば(日本維新の会出身の国会議員も多く、この点は製造物責任を感じています)、彼ら彼女らは国民が畏敬の念を抱くような存在になっていない。

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国会議員が国の政治エリートだというのは、中曽根さんの時代が最後のときだろう。もちろん地方の政治家が皆立派だというつもりも毛頭ないが、令和の時代に向けて、国会議員絶対主義から脱しなければならないことは間違いない。

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だからこそ、令和の時代においては、このような中曽根さんのような政治認識を打ち破る、地方政治を重視する政治勢力が必要でありその出現を期待する。僕はその挑戦に敗れたが、同じ挑戦をしてくれる若手の政治家が誕生することを願っている。政治は時代とともに変わらなければならないのだ。