ANAの国際線は長年、赤字続きだった。だがその苦境を乗り越え、2015年度の輸送実績でJALを追い越し、「日本一の翼」となった。背景にはなにがあったのか。航空ジャーナリストの北島幸司氏は「この10年の路線数を独自に分析したところ、ANAがビジネス客の多い路線に集中投資してきたことがわかった」と指摘する――。
JALとのすみ分けから猛追、逆転へ
“純民間航空会社”としてスタートしたANAは、かつて国内線が主だった。1954年に国際線を就航させたJALが半官半民の企業として日本の顔となるべく就航路線を増やしていったのとは対照的だった。
それは政府が進めた航空産業保護政策の結果でもあった。1972年に出された運輸大臣通達(航空憲法とも呼ばれた)によって、ANAとJALを含む当時の航空3社は事業領域のすみ分けを余儀なくされた。
この「45.47体制」と呼ばれる規制の枠組みによって、国際定期路線を担えるのはJALの1社に限定された。日本の航空業界を安定的に発展させた一方で、ANAは大きなハンディを背負わされていたことになる。
JALによる独占を認めた規制は1985年に廃止され、ANAの国際定期路線就航は翌1986年になってようやく始まった。JALに遅れること32年。その空白を新規路線開設でJALを猛追し、ANAは2015年度の旅客輸送の規模を表す「有償旅客キロ」(RPK)でJALを超えることとなった(両社のIRページ、月次輸送実績を参照)。
筆者が独自に路線数を計算すると、国際線就航が後発のANAは、羽田空港が再国際化した2010年ごろから徹底的にビジネス路線のシェアを増やしていったことがわかる。これはJALが経営破綻した時期と重なる。今では、JALはビジネス路線では押し切られて、強みを持つのはレジャー路線に限られてしまった。