パスタの好事家は「五右衛門よりサイゼリヤ」

話が少しそれてしまったのでサイゼリヤのパスタの話に戻します。これに対する世間一般の評価も、彼女たちと同じじゃないかと正直なところ思います。値段は確かに安い。だけど味は値段なりであまりおいしくはない。それでも他の店と比べてここまで圧倒的に安いとついつい食べてしまうことになる……といったところでしょうか。

昔から根強い人気の洋麺屋五右衛門(以下、五右衛門)というスパゲッティチェーンがありますが、同じチェーン店でもこのレベルになると味に関してそこまで悪く言われることはないように思います。

そもそも価格帯もコンセプトも全く異なるこの両者を比べるのはそもそもナンセンスではあるのですが、あくまで世間一般の評価という意味ではそこには歴然とした差があるのは確かだと思います。

ところが面白いことに、これはあくまで私の観測範囲での話ですが、普段から本格的なイタリアンレストランでパスタを食べ慣れていたり、本場の材料を自宅で揃えて凝ったパスタ料理を趣味で自作しているような、いわゆる好事家、マニアと目されるような方々はサイゼリヤのパスタのことをあまり悪く言わないような気がします。そしてこういう方々が否定するのはむしろ五右衛門のほうだったりもします。

「そこそこの非日常感」について分かれる見解

なぜそうなのか? 彼らは非日常に求めるおいしさと日常食に求めるおいしさを分けて考えているのではないでしょうか。彼らが少なからぬお金を捻出して食べる凝ったパスタは非日常のおいしさで、サイゼリヤのパスタはあくまで日常食としてのおいしさがあればそれで十分、ということです。

好事家とまではいかない普通の人々だって非日常のおいしさを求めていると思います。ただ、自由に使えるお金のほとんどを食べ物につぎ込んだり、余暇を潰してレシピを研究して自分で料理するほどそれに執着しているわけではありません。

でもお金を出して外食する以上、普段家では味わえないそこそこの非日常感は欲しい。そのちょうどいいゾーンが五右衛門なのかもしれません。逆に好事家にとってはどっちつかずの中途半端な位置づけということになるのでしょう。