「1日2回の記者対応」が逆効果になった第1次安倍政権

「1日に2回の記者インタビュー」といえば、2001年から2006年まで首相を務めた小泉純一郎氏も、在任中は1日2回の記者インタビューに応じた。小泉氏は、硬軟とりまぜた質問に、時には舌鋒鋭く、時にはユーモアを交えて短いコメントを発し続けた。「失言」と批判されることもあったが、総じてテレビの報道番組などが優先的に報道して政権アピールには有効だった。

その後、2006年に首相に就任した安倍氏も小泉氏と同じ手法を取った。しかし当時52歳の安倍氏は小泉氏のような経験は乏しかった。コメントは面白くなく、カメラ目線で語ると「気持ち悪い」、カメラから目をそらすと「目が泳いでいる」と批判を受けた。

極め付きは同年末のやりとりだ。記者から「首相にとって今年の1文字は」と聞かれて「それは……『責任』ですね」と「字余り」で回答。「アドリブが利かず、質問の意図も理解できない。総理の資質を欠く」というイメージが定着してしまった。1年足らずで首相官邸を去る遠因のひとつとなったと言ってもいい。

2012年、首相に復帰した安倍氏は、過去の反省から、定例の記者インタビューに応じないようになった。それが7年に及ぶ長期政権につながったとみることもできるのだ。

説明すべきことが増え、結果として墓穴を掘る

自ら禁を破って記者インタビューを「解禁」した安倍氏。マスコミを通じて直接国民に語りかけることは悪いことではない。しかし、語れば語るほど後から説明がつかなくなる危険があるのは言うまでもない。

15日、20分以上に及ぶインタビューでも野党側から寄せられている「『桜を見る会』の参加条件に『功績・功労』があるかどうか」「安倍事務所が紹介して内閣府が却下した例はあるか」など、安倍氏が答えなかった質問には答えていない。安倍氏の思惑通り、この問題を打ち切ることはできない。

説明責任を果たす姿勢を見せれば見せるほど、説明すべきことが増えてしまい、結果として墓穴を掘ることもある。そのことは12年前、安倍氏自身が証明しているのだ。