通話ボタンを押すと、妻だった。
「沢尻さんだからといって、いきなり社会復帰を望むなんてちょっと甘いんちゃうの? 薬物はアカンと思う。沢尻さんは他人に危害を与えていなくても、薬物が凶悪犯罪を生んで、それで子供たちが犠牲になることだってあるやん。飲酒運転で人をひかなくても、危ないから厳罰やん」
妻は、うちの子供のことに限らず、子供全般に関わることへの僕のコメントにはいつも厳しい。特に、教育政策などに関するコメントについてはね。
ここから僕は番組が終わったというのに、再度コメンテーターに戻って、妻に深夜の解説をした。番組では時間の制約上十分にコメントできなかったので、妻への解説を基に本メルマガで僕の真意を論じたいと思います。
社会的影響力が大きく襟を正すべきだが「特別な厳罰」はおかしい
芸能界は薬物犯罪に甘い、ということがよく言われる。
(略)
芸能人以外の一般人は、勤めていた「会社」をクビになったとしても、他の「会社」に勤めることはいくらでもできる。日本社会では、前科のある人の採用が禁じられているわけではない。あとは本人の実力次第だ。
(略)
もちろん芸能人は、同じ番組でジャーナリストの木村太郎さんが指摘したように社会的影響力が大きいし、一人の存在によって動くお金の額も大きい。ゆえに芸能人には強く襟を正してもらわなければならない側面はある。しかし、だからといって芸能人のみを特別に厳罰に処しなければならないというのは、法治主義国家の考え方にはそぐわない。
(略)
そうはいっても、殺人罪や強制性交罪(旧強姦罪)など悲痛な被害者が存在する犯罪では、被害者感情として、犯人の社会復帰をたやすく認めるべきではないという論もあるだろう。
僕もそれを理解しているつもりだ。一度失敗してもチャンスを与えるべきだといくら言っても、どうしてもチャンスを与えるべきではない犯罪が存在することも確かだ。
(略)
ただしこの場合でも、刑期を満了し刑務所を出てきた場合には社会復帰を促すというのが、今の日本社会の流れである。
この点、沢尻さんの今回の件でも、沢尻さんの人権や、薬物犯罪は社会の責任でもあるというきれいごとの論理で、今の段階において沢尻さん出演の番組の放送を促す動きが一部であるようだが、それは違うと思う。ルール違反には刑罰と社会的制裁が加えられなければならないので、番組の放送中止などは当然だ。ただし、前科者がさらに犯罪に走らないようにして「社会の安全を守るために」という意味で社会復帰を促す必要がある。
そして、薬物犯罪は、「被害者が存在しない犯罪」と言われている。これは法律の世界の用語の使い方であって、テレビで発言する際には説明不足だった。ここは妻にも指摘された。
ここは、薬物犯罪は「他人に危害を与えていない」というのが正確な説明だった。だから被害者感情を考慮する必要がない、と。
では木村太郎さんが言うような、仕事上迷惑をかけた相手は被害者ではないのか?
これは「刑事事件」の被害者ではなく、「民事事件」の被害者だ。ここをごっちゃにしてはならない。
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