そして、彼が1722年に刊行した『和声論』が、現代に通じる和声学と和音の基礎を確立したものとして評価されています。この『和声論』が出版されるや、早速、実践に移して作曲したのが、バッハの『平均律クラヴィーア曲集』です。
時代とともに変わる和音の「美醜」感覚
「不協和音」という言葉は、音楽に縁のない人でもよくご存じでしょう。調和を乱す行いや発言を指して、一般的にもよく使う表現です。音楽では一般に、複数の音が同時に鳴らされた際に、各音のあいだの音程が耳障りに響く関係にある和音をいいます。反対に、美しく響くのが「協和音」です。
美の基準に絶対的なものなどありそうにないのに、和音についてはなぜ、美しい/醜いと呼び分けるのか。ちょっとふしぎな感じがしませんか?
じつは、その違いは単に音楽の種類や弾き方、前後の音の連なり、楽器構成や文化的な背景から生じるものなのです。たとえば、同じ協和音でも騒々しく弾けば耳障りに響きますし、不協和音をやさしく弾けば心地よい音色になりえます。
なかでも、和音の美醜に関しては、時代性の問題が大きいとされています。私が高校生だったころに和声学を教えてくれたティル先生によれば、いまでは当たり前の「トライトーン」(三全音。隣りあう4つの音どうしの開きが3つとも全音になる音程。後出する増4度=減5度の開きの響き)の和音が、中世では「悪魔の音」とされていました。
教会から演奏することを固く禁じられ、この和音を書いた者は火あぶりにされていたというのですから驚きです。この話を聞いたときの衝撃は、今でも鮮明に覚えています。このエピソードからもわかるように、旋律の美の基準は、決して一つではないのです。
また、不協和音を駆使することで、独特のかっこよさやミステリアスさを創り出すことに成功している音楽家もいます。その代表格が、ジャズピアノの巨匠、セロニアス・モンクです。彼の曲には、典型的な不協和音である「ド・ファ#・ラ♭・レ♭」などが登場します。
旋律に対する美醜の意識がさまざまに異なることは、世界各国の民族音楽を聴き比べると、さらに一目(一耳?)瞭然ですね。アフリカ、インド、タイ、インドネシア、日本、沖縄、アラブ諸国、世界各地のどの和音にも独特の存在感があり、それぞれの美しさを発揮しています。