そして僕は自宅においてツイッターで、台風の話から、今度は堺市長選挙の話をつぶやいた。そしたら、そのことに対して、

「この台風のさなかに選挙の話とは危機意識が足りない!」
「竹山さんのように現場に出ろ!」
「市役所に登庁しろ!」
「災害対策本部を開け!」

と散々批判されたね。

でも僕は、今は災害対策本部を開く段階ではないこと、現場に出向いたらかえって現場に手間をかけさせてしまうこと、竹山さんが現場に出向いてもそのことが市長判断の何に役立つか不明で、選挙前のパフォーマンスではないかとも思えてしまうことなど、反論した。

その一方で、役所内の危機管理監からの様々な報告によって、大阪市政で初の、大和川に接する4区について避難勧告を発した。

今でこそ避難勧告、さらにはその一段上の避難指示はバンバン発せられるようになったけど、2013年当時は、避難勧告ですら市町村長はそれを発するのをためらっていた。そして、避難勧告の発出が遅かったがゆえに災害に巻き込まれてしまったのではないか、という事案があとを絶たなかった。2014年8月の広島土砂災害がそうだ。

ただ当時は、市町村長が避難勧告を出すにも勇気が必要だった。避難勧告を出したはいいが、実際に土砂災害や河川の氾濫が起きなかった場合に、つまり避難勧告が空振りした場合に、住民からどのような批判を受けるか分からない。だから簡単には出せない。

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しかし、そのような避難勧告だからこそ、それを出すことは市長村長にしかできず、その権限と裏腹にそれだけの重い責任が生じる。住民の命を守るためには避難勧告・指示を出さなければならない。そのことで社会に混乱が生じても、すべての批判を一身に浴びなければならない。

僕は危機管理監と協議をして、大阪市政初の避難勧告を出した。対象世帯は13万9000世帯、対象住民は27万4000人という、当時としてはとてつもない規模の避難勧告だった。

「空振りした時の責任は引き受ける」

こここそが市長の役割であり、その他の災害対応は危機管理監を筆頭とする職員チームで十分に対応できる。

(略)