「デブ専」という言葉が持つ前提

世間ではやせている人が評価される。

こういうと、「いや、『デブ専』みたいな言葉もあるじゃない」といった反論がくるかもしれません。おっしゃる通り、太っている人に魅力を感じる人たちは存在します。また、タレントの渡辺直美さんのような大きめ体型でありながらも「かわいい」「きれい」という評価を世界中から受ける人もいます。

ですがこのような状況を受けても、私たちの社会がやせていることを評価する事実は変わりません。たとえば、「デブ専」という言葉は、多くの男性がやせている女性を好むという前提があるからこそ生まれた言葉です。それの証拠に「ホソ専」という言葉はありません。

からだのシューレのメンバーである、吉野なおさんがモデルを務める、ぽっちゃり女子のための雑誌『la farfa』にモデルとして出てくる皆さんはとても素敵ですが、だからといって日本女性のやせすぎか解消に向かっているわけでもありません。

では、やせていることはなぜこうも称えられるのでしょう。

昔の美の基準は「ぽっちゃり型」だった

やせていることを評価する社会は昔からあったわけではなく、この100年にも満たない社会の変化の中で起こりました。それまでの美の基準はぽっちゃり型だったのです。

人間の社会が、狩猟採集から農業や牧畜を中心とした食料を作り出す社会に移行し始めたのは約1万2000年前です。新石器革命と呼ばれる狩猟採集から農業への移行は、それまでの社会とは大きく異なる社会の誕生を可能にしました。農業により生活を営むということは、獲物を求めて住処を頻繁に変える必要がないということ、つまり食糧の備蓄が可能になるということです。

この変化により、一つのコミュニティでより多くの人口が保持できるようになり、結果としてコミュニティを保持するための政治経済体制が、狩猟採集時代のそれらよりも複雑な形で成立していきました。

するとそのコミュニティの中で社会の階層化が生じ、偉い人とそうでない人が登場します。階層化によっておいしい思いをするのは当然ながら支配階層にいる人々であり、それは食糧不足の際に特にあらわになります。狩猟採集社会では身分の分化が少なく、比較的平等に食料が分配されますが、農業による定住生活が始まると事情が変わり、支配階層の人々は、下位の者に税金といった形で食料を納めさせ、食料の備蓄ができます。この結果、飢饉ききんが起こっても飢えずにいられるのです。