やせた身体には「理想とされる物語」が埋め込まれている

その中でもすぐに測定でき、外見からもある程度の予測が可能な体重は、自己責任論の格好のターゲットです。例えばアメリカのファット・アクセプタンス運動の研究を行なった文化人類学者の碇陽子さんは、『「ファット」の民族誌』(明石書店)の中で米国公衆衛生局の長官が2001年に「肥満はエピデミックの域に達した」と述べたことを批判的に検討します。

磯野真穂『ダイエット幻想』(ちくまプリマー新書)

エピデミックとは本来、鳥インフルエンザのような感染症の爆発的な広がりのこと、つまり何かがエピデミックと呼ばれる時は、感染の広がりを食い止めるための早急な介入が必要なことが示唆されます。

つまりこの言葉が肥満に比喩的に使われると、肥満はあたかも感染するような病気であり、しかもその原因は本人の自己管理の失敗にあるという、肥満の当事者に過剰な恥と罪の感覚を持たせることが可能になります。日本で肥満がエピデミックと大々的に叫ばれることはありません。

しかし肥満と自己管理の失敗が結び付けられていることは明々白々です。現代社会においてやせた身体が賞賛されるのは、やせた身体の中に「自己管理を怠らず健康を維持している」という、私たちの社会の中で理想とされる物語が埋め込まれているからなのです。

▼編集部おすすめの関連記事
「女の子は50kg以下がいい」という先入観の正体