清貧を貫いた本阿弥光悦

そして本書では、清貧で知られた古の文化人たちを、人生の達人として紹介しています。戦国末期から江戸初期にかけて幅広く活躍した芸術家、本阿弥光悦は、京都屈指の富豪に生まれながら、清貧を貫いた1人ですが、中野氏はその母、妙秀が、光悦の生き方に影響を与えたと指摘しています。こんなエピソードが、本書に載っています。

光悦は若い頃、茶の湯に凝っていて、あるとき、お気に入りの「瀬戸せと肩衝かたつきの茶入れ」を買い、懇意にしていた大名、前田利長に見せにいきました。すると、帰りがけに前田家の重臣たちから、「殿もお気に召したようだから、白銀300枚で譲るように」と懇願されましたが、丁重に断ったのです。その顛末を帰宅してから妙秀に話したところ、「よくぞ、断った」と大いに喜んだそうです。お金に左右されず、「純粋に茶の湯を楽しむ」という精神を優先した光悦の姿勢を、妙秀は高く評価したわけです。

清貧は、「貧乏」とは違います。貧乏の場合、お金がなく、貧しい暮らしをせざるをえない。しかし、清貧の場合、お金があるにもかかわらず、「物質的に豊かな暮らし」をあえて求めないのです。所有するお金やモノが増えると、それらに人生を支配されるようになり、精神的な豊かさが奪われてしまうからです。

また本書は、僧・源信が『往生要集』で示した「足ることを知らば貧といへどもと名づくべし、財ありとも欲多ければこれを貧と名づく」という教えを紹介しています。財産は整理し、少数の気に入ったモノにこぢんまりと囲まれつつ、心豊かに暮らしていく。そう考えていけば、老後のお金の心配など解消するのではないでしょうか。

(構成=野澤正毅)
【関連記事】
タワマン「年収10倍住宅ローン」の末路
義父母の「年74万円おねだり」を断れない若夫婦
月47万浪費「週3ドンキ妻」がハマったリボ地獄
月収44万68歳の悩み"暇で暇で死にそう"
「4000円口紅と600円リップ」で悩む女性の本音