時代がどこに向かっているかを示せるツール
【深谷】細分化という話は、産業界でも同様のことが起きていて、企業でも職種がどんどん細部化して分断されてしまって、メーカーのエンジニアが苦しんでいたりする姿にあうことがあります。たとえば自動車メーカーに入って、車を設計したかったのに定年までずっとそのパーツの設計の仕事で終わるというようなこともあって、車というプロダクトの全体像も、会社という自分が属している組織の全体像も見えない、感じられないまま最後までいく。本当は車が好きだったのに、この会社に憧れて入ったのに、みたいな切なさ、組織と自分とのベクトルのずれは、企業内にかぎらず社会全体を覆っているようにも思います。さらに、目的に沿って共同で事業を展開するコンソーシアム型のプラットフォームビジネスも起こっているように、組織は拡大する一方です。
そうやって分断されてしまった思いを、どうやったらもう一回、自分のなかで立て直せるかというときに、哲学は頼っていいものなんでしょうか。
【岡本】それはまったくそうですね。ヘーゲルの言葉ですけど、「だれでももともとその時代の息子である」と。つまりわたしたちは誰もが一つの時代のなかで考え、時代の空気を吸い込んで生きているので、例外なくその時代の制約のもとにある。でも自分がいったいどんな時代に生きているのかを意識しているかどうかは、人それぞれですね。意識せずに過ごしてもいっこうにかまわない。ですが、あるときやはり自分なりの思考のモデルを組み立てようとしたときに、いまという時代がどのようなかたちでどこに向かっているか、そのオリエンテーションを提供するのは、たしかに哲学の働きなのだと思います。時代の見立てをおこなう学問、ツールとしての哲学ですね。
「役に立たない」のに売れる哲学書
【岡本】先ほど、深谷さんはいま世の中には哲学の断片が散在しているとおっしゃいましたが、どんなところでそう感じるのでしょうか。
【深谷】たとえば哲学でも歴史でも、「10分でわかる世界史」とか、「いますぐ使える哲学」とか、「宗教 超入門」とか、そんなキャッチコピーばかりが目に飛び込んできます。そんなにすぐにわかるようになったり使えたりするはずはないと思うので、きっとそれらは食べやすいように細かく切って、美味しいところ、美味しそうなところだけをお皿に盛りつけたものなんじゃないかと思うんですが。でもそういうものは手を替え品を替えほぼ全分野で次々と出てきています。
【岡本】たしかにそうですね。書店に行けば、役に立たないと言われる哲学のコーナーにもつねに新刊書が並んでいます。最近では、哲学書でもけっこう売れるものもあって、話題になることもありますね。でもよく見ると、売れている哲学書がすべて哲学者や哲学研究家によるものかというと、そうではありません。むしろ哲学を生業としていない方が書かれた本のほうが売れているようにも思います。
これにはきちんと理由があるんですね。一般に広く読まれている本のなかには、哲学を専門的にやっている人間からすると、「そんなことは言えないよ」とか「その解釈は間違っているな」とか「その説明だけでは不十分でしょ」などなど、ツッコミどころがもう山ほどあるわけです。逆に、そういうこだわりがあるので、一般向けの解説本はあまり書きたがらないわけですね。