20世紀、哲学の居場所がなくなった

【岡本】ただ、哲学がすべての学問の原点だというときに、大きく二つの意味があります。一つは古代ギリシア時代の発想で、いま言ったようにすべての知を含めた学問が哲学だということで、たとえて言えば大工の棟梁のような親分的存在であるという位置づけです。アリストテレスにしても、生物学から数学、論理学とすべての学を修めました。

それが近代にいたって、今度は哲学というのはすべての学問の基礎いわば根本にあたる部分なんだというふうに、位置づけが変わりました。カントにしてもそうで、世の中の基礎づけをおこなうのが哲学と考えています。そのため法学の基礎を考えるのは法哲学、社会学の基礎を考えるのは社会哲学というかたちで、それぞれの学問の基礎理論を考えるのが哲学であるという位置づけがなされていました。

ところが20世紀になると、そんな基礎なんて、もういらないよっていう話になってきた。それぞれの学問は、自分たちの内部で基礎理論まで確立するようになり、哲学に基礎づけてもらう必要なんかない、と言いはじめたのです。これは世界的な潮流でした。そうなると何が起きると思いますか。

【深谷】哲学の居場所がなくなった?

「役立たず」な存在になってしまった

【岡本】そのとおりです。それぞれの学問が、もう上からの援助も下からの支えも必要ないと言って独り立ちしてしまうと、哲学にはやるべきことがなくなってしまった。そうなると哲学独自の学問領域というものはもともとなかったわけですから、もう居場所がないわけです。ハイデガーはこれを「哲学の死」と呼びました。それ以降、哲学は、役立たずの何かわけのわからないことをやっている人たちの集まりと見られるようになっていったんです。

博報堂ブランド・イノベーションデザイン副代表の深谷信介氏(撮影=中央公論新社写真部)

【深谷】哲学の悲哀ですね。本質を追わなくなる、技法に終始するいまの時代と通じます。

【岡本】本当に。哲学の存在自体が危機に瀕したのですから、20世紀の哲学者たちは、「じゃあこれからどうするの?」「自分たちは何をやるの?」とあらためて哲学の役割を定義しなおさなければならない現実に突き当たったわけです。

そこでたとえばアメリカの哲学者リチャード・ローティ(1931~2007)などは、哲学は諸学問のあいだのコミュニケーションをはかる一つのツールとしての役割を担うものだ、と言いました。法学者は法学の議論しかしないし、芸術家も芸術の話しかしない、科学者は科学の議論で終始しているから、それらの学問を相互にとりもつハブになるのが哲学なのだと言うわけです。まあ言っていることはわかりますが、やはり苦しまぎれの考え方ですよね。学問領域が拡張するいっぽうで専門化と細分化がとめどなく進展している今日、すべてをカバーできる人なんて誰もいないですからね。その意味では哲学というのは、20世紀において非常に大きな転換期を迎えたのです。