「ADHD」の定義があいまいになってきた
そして、子どもの双極性障害と縁が深いとされたADHDの爆発的な増加も、「現代の奇病」の一つといえるだろう。
ADHD(注意欠如/多動性障害)は、神経発達障害の一つで、遺伝要因が7~8割と推測され、先天的な要因が非常に強いとされてきた。遺伝性の強い疾患であれば、大昔から存在したはずであり、数十年の間に急増するということも、通常は考えにくい。ところが、あり得ないはずの奇妙なことが起きているのである。
ADHDの歴史を調べたマシュー・スミスによれば、いくら時代を遡って文献を渉猟しても、ADHDらしき人物の描写や記録はほとんど見つけ出すことができないという。大昔から存在する遺伝性の障害であれば、それらしき例がシェークスピアやモリエールの戯曲の登場人物として、あるいは、医学的な文献に見つかりそうなものだが、一向に見当たらないのだ。今日、知られているもっとも古いADHDの症例だとされているのが、1902年にイギリスの小児科医ジョージ・フレデリック・スティルが報告したもので、そこには、多動や衝動性を特徴とする20のケースが記載されていた。
ただ、それらのケースは、多動や衝動性のほか、破壊的暴力行為や自傷、道徳的な抑制欠如などを呈し、ADHDというよりも、情緒障害とか破壊性行動障害として理解されるべきものであった。しかも、その多くは施設に収容された子どもで、今日では、愛着障害だと診断される可能性が高い。遺伝性が強いとされるADHDと同じものだとは、とうてい言えそうもない。
つまり、ADHDは、その起源においてさえ、すでに危なっかしい混乱の兆候がみられるのである。
多動や衝動性、不注意があってもADHDとは限らない
多動や衝動性を呈する子どもに再び関心が注がれたのは、1920、30年代のことである。当時、ウイルス性脳炎がアメリカで猛威をふるい、多くの子どもたちがその犠牲となった。一命を取り留めたものの後遺症に苦しみ、無反応に何年も眠り続けることもあれば、多動や衝動性、不注意、知能低下、麻痺、けいれん発作などを来たす子どももいた。
そんな子どもたちを収容していた病院で、偶然、覚醒剤アンフェタミンが不注意や多動に効果があることが発見された。
確かに、多動や衝動性、不注意といった症状が認められはするが、これらは、脳炎後遺症による脳の器質的障害によるものであり、遺伝性が強いとされるADHDとは、似て非なるものであることは明らかだ。
それからしばらくは、子どもたちの多動や不注意になど、ほとんど関心が払われることはなかった。