「楽観的な見通し」が出てきた原因はどこにあるのか

いずれにせよ、東電は全面復旧が整い次第、当初の楽観的な見通しを立てた原因を究明し、明らかにすべきである。検証によって「陥穽」に気付くことできれば、東電はそこから抜け出すことができる。検証なしに先に進めば、また同様な惨事を繰り返すことだろう。

2011年3月11日、東日本大震災が発生した。福島県では巨大な津波の襲来で東京電力福島第1原子力発電所の電源が失われ、原子炉が冷却機能を喪失。翌12日午後3時36分、1号機で燃料が加熱、水素を発生させて爆発した。さらに3号機と4号機でも水素爆発を引き起こした。大気中には大量の放射性物質が出た。

未曽有の事態に政府は避難指示を原発の半径3キロ、同10キロ、同20キロと次々に拡大した。福島の住民は混乱の中での非難を強いられた。

東京地裁は今年9月19日、この福島原発事故を巡って業務上過失致死傷罪で強制起訴されていた東電の旧経営陣3人全員に無罪判決を言い渡した。

今回の裁判の最大のポイントは、旧経営陣3人が巨大津波の襲来を予見できたかどうかだった。個人の罪を問うのは難しい。3人が具体的に危険性を認識していたことを詳細に立証する必要があるからだ。しかもその個人は組織の経営陣だ。これまで刑事裁判で組織のトップに業務上過失致死傷罪が認められたことはない。

トップの自覚の希薄さが、事故という悲惨な結果を招く

だが、原発は最高水準の科学技術によって稼働される。稼働には危険をともなう。稼働主体、つまり東電という組織やそのトップらにその自覚が希薄だったから、事故という悲惨な結果を招いたのではないか。柳田氏のいう「現代の科学技術の危険な陥穽」である。航空事故も原発事故も同じなのである。

柳田邦男『マッハの恐怖 連続ジェット機事故を追って』(新潮文庫)

柳田氏はこうも指摘している。

「現代の繁栄を支える科学技術が、主人公である人間をのみこんでしまう危険な陥穽を内包していることについては、最近公害告発の過程でもようやく暴露されてきたが、ジェット機事故の場合はこの危険な陥穽が乗客の大量死という形態をとるためにより鮮明である」

本来、人間のためにあるはずの科学技術が人間を疎外する。これはそのまま原発事故に当てはめることができるだろう。『マッハの恐怖』は半世紀も前のノンフィクションだ。それでも指摘は色あせない。柳田氏の分析力と洞察力には驚かされる。