最低賃金引き上げは経済にプラスかマイナスか

そもそも最低賃金引き上げの是非を巡っては、経済学者の間でも論争が続いており、議論が分かれるのは無理からぬことである。

元来、標準的な経済学では最低賃金の引き上げにはデメリットが多いとされてきた。いわゆる完全競争のもとでは賃金は労働生産性に等しく決まるため、それを政治の力で恣意的に引き上げれば企業は事業を縮小させ、結果として失業者が増えてしまう、というロジックがあるからだ。しかし、現実の世界では、必ずしも完全競争の状態が成立しているとは限らない。

例えば、大型スーパーなどが特定地域での求人需要をほぼ独占している状態を想定してみよう。この場合、その地域に居住し仕事を見つけざるを得ない人々は、働き(生産性)よりも低い賃金を提示されても、その賃金で働くしかない。経済学ではこれを「需要独占」のケースと呼ぶが、この場合、最低賃金を引き上げることにより、雇用を減らすことなく労働者の手取りを増やすことができる。

もう一つ、標準的な経済学はあくまで静態的な状況を想定しての話であり、動態的に考えれば結論が異なってくる可能性がある。つまり、静態的には労働生産性は所与であるが、動態的には賃金引き上げが労働生産性を押し上げる効果が期待できる。この場合、雇用を減らさずに賃金を増やすことが可能になる。

わが国で積極引き上げが必要な理由

ではわが国の現実はどうか。結論的にいえば、最低賃金の引き上げに積極的に取り組むべき状況にあるといえる。

その第1の根拠は、人手不足が深刻化していることである。有効求人倍率の数字は足元全都道府県において1を上回る。これは、最低賃金の引き上げによって、ある企業が雇用を減らしたとしても、失職者は人手不足の状態にある他の企業で新たな職を見つけることが可能であることを意味している。さらに、賃金が低い地域では高い地域への人口流出が起こり、人手不足に拍車がかかっている可能性がある。人材確保のために、そうした地域では高めの最低賃金の引き上げが必要といえる。

第2は、先にみた「需要独占」のケースの存在である。労働需給(有効求人倍率)と給与水準(所定内給与)の地域別関係をみると、一定の正の相関は認められるものの、両者の相関関係はさほど強くない。地域間の労働移動がスムーズに行われる前提では、理屈上有効求人倍率が高まれば賃金も高くなるという関係が明確に確認されるはずである。

それが曖昧であることは、地域間の労働移動に無視できない制約があることを意味しており、すなわち特定の地域で需要独占の状況にあることを示唆している。この場合、企業には最低賃金を引き上げるだけの余裕があり、失業を発生させずに最低賃金の引き上げが可能である。

第3は、不採算事業の再編を促して、地域産業基盤の強化と賃金底上げを同時実現する可能性である。賃金水準と企業の廃業率の地域別関係をみると、緩やかな逆相関、すなわち賃金水準が低い都道府県ほど廃業率が高いという関係が確認される。そこには、超低金利で資金調達が容易な環境が常態化したために不採算事業の存続が可能になり、低価格・低賃金競争(race to the bottom)の構図が生まれている可能性を指摘できる。最低賃金の引き上げは、この悪循環の構図を断ち切るきっかけとなる。