1000名以上の市民が集団自決したと推定

大戦最終段階のドイツは黙示録的様相を呈していた。ドイツ本土に進攻したソ連軍は、略奪、暴行、殺戮さつりくを繰り返していたのだ。かかる蛮行を恐れて、死を選んだ例も少なくない。なかには、集団自決もあった。

大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)

フォアポンメルンの小都市デミーンでは、ソ連軍の占領直後、1945年4月30日から5月4日にかけて、市民多数が自殺した。正確な死者数は今日なお確定されていないが、700ないし1000名以上が自ら命を絶ったと推定されている。世界観戦争の敗北、その帰結であったが、ナチのプロパガンダは、デミーンこそ模範であるとして称賛した。

加えて、ドイツが占領した土地へ入植した者、ロシア、ポーランド、チェコスロヴァキア、バルカン諸国のドイツ系住民が、ソ連占領軍や戦後に成立した中・東欧諸国の新政権によって追放されたことによっても、膨大な数の犠牲者が出ていた。彼ら「被追放民(フェアトリーベネ)」は、財産を没収され、飢餓や伝染病に悩まされながら、多くは徒歩でドイツに向かったのだ。その総数は、1200万ないし1600万と推定されている。うち死者は100万とも200万ともいわれる。

かかる混乱の余波もさめやらぬなか、7月17日より、ベルリン近郊のポツダム市で、連合国首脳会談が開かれた。スターリンと米英のトップが、戦後秩序のあり方を論じたのだ。この会談の結果、ドイツ東部領土のソ連とポーランドへの割譲、ドイツ分割占領の方針などが決められた。後者は、のちに、ドイツの東西分裂につながっていく。そうしてできたドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)が、再び統一されるまでには、半世紀近い時間を要した。

東方植民地帝国の建設をめざして開始された「世界観」戦争は、ヒトラーが一千年続くと呼号した国家の崩壊、さらには他民族による占領と民族の分裂というかたちで、ピリオドを打たれたのである。

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