室内にはビールやチューハイの空き缶が散乱

発見から約10日後、遺品整理業者とこの部屋を訪れた兄は、机の上のパソコン、コピー機などの近くに散乱していたメモ用紙に目をとめた。

「何もやる気がない」「賀状も出さなかった」「客も忘れた 友人も忘れた」「家の方向も忘れることがある」

男性の筆跡だった。広さ約25平方メートルの室内には、ビールやチューハイの空き缶が転がり、冷蔵庫の中に残っていたのは飲み物と湿布だけだった。

「たまに会うと、愚痴ばかりだった。もっと手を差しのべていれば……」。男性が亡くなった直後に取材に応じた兄はそう話し、肩を落とした。

男性は、この部屋を事務所兼自宅として旅行業を営んでいた。大手銀行員の三男として東京都心に生まれた男性は、都内の中学、高校を経て、首都圏の国立大学を卒業した。幼なじみの男性(69)は、「秀才で、女性にも人気があった」と話す。

得意の英語を生かして商社に就職した後、30歳代半ばで大手旅行会社に転職し、添乗員として世界を回った。パリの街並み、ウィーンのオペラ、アフリカの草原、北極圏のオーロラ……。兄は、土産話をするときの男性の生き生きとした表情を記憶している。

生涯独身、50歳で会社を立ち上げる

フランス語やイタリア語も日常会話程度なら使えるようになり、男性は50歳で独立して、個人向けの海外旅行を手がける小さな会社を起こした。ヨーロッパを中心に、自ら現地に下調べに行っては、旅行好きの人が好みそうな場所を見つけ出し、独自のツアーを組む。そんな努力が支持され、リピーターの多い人気のツアーコンダクターとなった。時には、1人数百万円の予算で富裕層向けのツアーを組み、男性もタキシードをまとって高級レストランを楽しむこともあったという。

部屋の本棚には、フランス革命やスペイン内戦、モーツァルト、キリスト教など歴史や音楽に関する書籍のほか、外国語の参考書も数多く並んでいた。自分が企画するツアーに生かそうと、積極的に知識や情報を集めようとしていたことがうかがわれた。

本棚の隣には、国ごとに手作りの資料をまとめたプラスチックケースが天井の高さまで積まれ、遺品からは、各国の紙幣やコインのほか、男性の手に引かれて一緒に世界中を旅した大きなスーツケースも見つかった。

「常連」だった広島県在住の男性(63)は、「日本人が行かないところ」とリクエストすると、城跡の残るドイツの古い街並みで開かれるクリスマスマーケットを案内してくれたことを覚えている。何度もツアーを利用するうちにプライベートでも付き合うようになったという、この常連客は男性を思い起こし、「気配りができ、安心感のある人だった」と語った。

1年の半分は仕事で海外にいた男性は、生涯独身だった。趣味も特になく、兄の目には「仕事一筋」だと映っていた。