「人や場所を忘れっぽくなり、思い出せない」

そんな男性が、突然、「人や場所を忘れっぽくなり、思い出せない」などと周囲に漏らすようになったのは、亡くなる5年ほど前のことだった。

それまで、顧客の名前も電話番号もすべて暗記していて、手帳を持ち歩く必要がなかった。その分ショックが大きかったのか、「自信を失った」とひどく落ち込んだ。

常連客からの依頼にも「できない」と断るようになり、廃業を決意。最大の生きがいを失い、周囲との関わりは大きく減った。

部屋に残されていた日記には、亡くなる直前までの生活ぶりと心境が記されていた。

「夜酒飲むと夜中起き、酒飲む悪循環」「イライラが続く」「ゆううつな時間の連続」「もうしばらくで大病間違いなし」「朝から夕までふとんの中」……。外食やコンビニで一人の食事を済ませ、夜中や朝に部屋で酒を飲むことが日常になったことが垣間見える。

自虐的な内容が多い中で、「ハッピー」「ビールを買って一缶飲んだ」と書いたことも。久々に知人から連絡があった日だった。久しぶりに近隣住民と言葉を交わした日には、「うれしかった」と書き留めていた。

「独伊方面のツアーしている夢を見た」と現役時代を懐かしんだり、社会とのつながりを探してか、有名人の結婚や訃報、事故などニュースに触れたりする日もあった。

管理人「訪ねて来る人を見た記憶はない」

マンションの男性管理人(74)によると、このマンションはオフィスとして使われる部屋も多く、住民間の付き合いは少ない。

管理人は、男性がコンビニへの買い物や散歩、コインランドリーに一人で外出するのをよく見かけたという。マンションの中には家族や友人が来訪する部屋もあるが、男性宅を訪ねて来る人を見た記憶はない。

男性は、管理人とあいさつを交わす際、「ゆっくり話したいね」「今度飲みに行こう」などと誘いの言葉をかけてくることもあった。なかなか都合が合わず、「また今度」などと応じていたが、男性は寂しげな様子だったという。亡くなる1週間ほど前に見かけた際、顔色が悪かったことを覚えているという管理人は、「もう少し早く、体調の変化に気づいてあげられればよかったのだが……」と振り返った。

兄が男性と最後に会ったのは、亡くなる約1カ月前。東京・新宿の居酒屋だった。落ち込む男性を「次会う時は新しい話題を持ち寄ろう」と励ましたが、表情は晴れなかった。「日々の自分を見てくれる人がおらず、常に不安だと言っていた」。兄は弟との最後のやりとりを思い返しつつ、妻と死別して一人暮らしとなった自身の境遇に触れ、「私も今、同じ不安を抱えています」と明かした。