バーテンの世界では長く愛される老舗ブランド
「ウィルキンソン」が発売されたのは、1904(明治37)年(当時の商品名は「ウヰルキンソン・タンサン」だが、ブランドの歴史はその15年前、1889年にさかのぼる。
日本に定住していて、国内での商売を考えていた英国人実業家のジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏が、狩猟の途中、兵庫県宝塚の山中で天然の炭酸鉱泉を発見した。この湧出水をロンドンの分析機関に依頼して調査した結果、「良質な鉱泉」という評価を得て、翌年に個人事業として鉱泉の瓶詰生産を行い、天然炭酸鉱泉水を発売した。
それが1904年、湧出量の不足を理由に有馬郡塩瀬村(現在の兵庫県西宮市塩瀬町)生瀬へ工場を移転。会社組織にして「ウヰルキンソン・タンサン」として発売した。戦後の1951年に朝日麦酒(現アサヒビール)が同ブランドの販売契約を締結し、ウヰルキンソン社が製造、朝日麦酒が販売となり、1983年からアサヒビールが商標権を取得して製造販売を始める。ロゴが「ウヰルキンソン」から「ウィルキンソン」に変更されたのは1989年からだ。
長く、ウイスキーやカクテルなどの酒の割り材として利用され、ホテルのラウンジや有名バーなどで需要があった。師匠や先輩から道具や材料を含めて伝統を受け継ぐ、バーテンダーの世界では人気ブランドだったが、割り材ゆえ「脇役」の存在にとどまっていた。
空前の“ハイボールブーム”も追い風に
2008年から売り上げが伸び始めたのは、酒類で競合するサントリーが仕掛けた「ハイボール」人気と関係がある。
この年、サントリーでは「ウイスキーを何とかせい!」と佐治信忠会長兼社長(当時)が発破をかけ、復活に向けた取り組みが始まった。それが短期間で成功したのは有名な話だが、筆者も2010年、当時のサントリー酒類社長に「ウイスキーV字復活劇」を取材した。その際に印象に残った話が、次の内容だった。
それまでサントリーが勧めてきた、ウイスキーの水割りやロックの黄金比率(アルコール度数が12%以上)を、消費者は「濃い」と感じていた。好んだのは8%に薄めた味だった。レモンを軽く搾ることも好評だった。いずれもメーカーの“常識”を変えるものである。