新規就農は「お見合い」みたいなもの
【有坪】目が悪くなっているのでDTPはもうできない。年齢的にも40歳を超えていたということで、再就職というのも簡単ではない。慎重に生活していても、貯金が減っていくばかりですから、どこかで腹を決めないといけなかったということですね。
【高尾】家を買ったり建てたりしたわけではないので、かかるお金はアパート代と引越し代くらい。そんなにリスクも高くありません。
今思えば、この決断が良かったのかもしれません。新規就農は「お見合い」みたいなもの。熱心さや真剣さが相手に伝わらなければ、そのエリアで行われる研修制度のメンバーになったり、就農支援センターからのアドバイスを受けたりは難しいですから。
【有坪】そのとおりですね。『農業に転職!』の原稿にも書きましたが、就農にあたってキーとなるのは、「経営(営農)計画」というのが私の考えです。その最大の理由は、就農支援機関の担当者に本気度を伝えるため。自分が生まれ育った土地ならば、知り合いのつてを使える可能性もありますが、まったく見知らぬ土地で就農しようと考えるならば、基本的に就農支援機関のバックアップは欠かせません。
呼ばれたらどこにでも顔を出した
【有坪】話が少しそれてしまいましたが、アパートを借りた後についても教えてください。
【高尾】僕が就農したのは、倉敷市の船穂町というところです。ここは倉敷市と合併する2005年以前は、すごく小さな町だったんですけど、町のシステム自体がすごく良くできていた。全国的に見ても専業農家の割合が非常に高く、技術力や販売力というのを持っている農家も多く、そうした方々に対して行政サービスを手厚くしていたんです。
【有坪】具体的にはどういったことでしょうか?
【高尾】家庭ごみから堆肥を作って地元の農家が再利用できるようにしたり、県が主導する研修事業をいち早く採用し、新規就農者の受け入れや支援する仕組みを作ったりしていました。幸いなことに、僕はその研修制度の一人に入れてもらえました。最初の1年目は受け入れ農家での研修を受け、2年目は研修用の圃場(ほじょう)で自ら栽培を行いました。それで就農していいよ、ということになりました。
【有坪】もちろん研修を一生懸命に行ったことも重要であったかと思いますが、それと同等かそれ以上に支援制度のメンバーに入れたことが大きかったのでしょうね。なぜメンバーとして地元の方々に受け入れてもらえたのだと思いますか?
【高尾】最初から積極的に地元の方々とコミュニケーションを取ろうとしたことが良かったのだと思います。研修前も研修中も、お誘いを受ければ、どこにでも顔を出しました。自分としては、後がなかったこともあって、とにかく熱心にやるしかないと思っていましたから。