自分を導く「人生の指針」はどうすれば身につけられるのか。経営コンサルタントの小宮一慶氏は「私の人生の師匠は10年ほど前に99歳で他界されたご住職です。『串団子のように生きなさい』という教えは、私の人生のバックボーンになっています」という――。
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99歳の“メンター”に人生を教えてもらった

私の人生の師匠は、10年ほど前に99歳で亡くなった禅寺のお坊さんです。長野県篠ノ井にある檀家30軒ほどの小さなお寺(円福寺)の住職、藤本幸邦さん。晩年は、曹洞宗の大本山・永平寺の最高顧問も務めていました。私が35歳~50歳くらいまでの間、老師からいろいろなことを教えていただき、それは今も私の人生やビジネスのバックボーンとなっています。

老師の教え1:「串団子のように生きなさい」

最初に教えてもらったのは、「人生を串団子のように生きる」ということでした。串団子の団子の数は地域や時代によって差がありますが、4個がスタンダードのようです。その串団子になぞらえて、老師はこう言いました。

「一番下の団子は、自分。2つ目の団子は、家族。3つ目の団子は、属する会社などの組織。4つ目は、国や社会。そして、4個の団子の真ん中を串が突き刺している。大事なのは、どの団子も外さないように生きることです」

つまり、自分、家族、属する組織、社会など、どれをも犠牲にしない生き方が必要だというのです。自分という団子だけ外して自己犠牲をして、家族や組織、社会のために尽くそうとしても、長続きしません。それと同様に、自分や組織、社会にはよくても家族という団子を外す(犠牲にする)こともいい結果をもたらしません。もちろん自分、家族、組織はよくても、反社会的な行動を取る企業や組織のように、社会のためにならならない存在でよいはずがありません。

「人生を串団子のように生きなさい」。おそらく老師は「理想論」を語ってくれたのだと思います。現実社会では、何か1つ団子を刺していない状況が発生するケースがあり、時には理想を貫くことを妥協せざるをえないこともあるかもしれません。しかし、妥協ばかりしていると、その人は自身のエネルギーをどんどん失うことになります。

人は、理想を持って進んでいくときにエネルギーを得られると私は考えています。明治維新の頃、大きなことを成し遂げた人たちの多くは理想家でした。現代においても理想に向かって進み、人生を串団子のように生きるという理想に突き進むべきなのです。

老師の教え2:「お金を追うな、仕事を追え」

「小宮さん、お金を追うな、仕事を追えだよ」。この言葉を老師から何度も言われました。ひょっとしたら、私の表情や様子が、お金を追いかけていたというふうに見えた時もあったかのかもしれません。そうであるにせよないにせよ、うんと年下の経営コンサルタントの駆け出しである私に、ビジネスの根幹を教えてくださったのでしょう。

例えば、経営コンサルタントである私が社会や世の中の役に立てること。それはまず、顧問を務める企業に対して的確な意見を述べることでしょう。また、メディアに寄稿したり書籍を書いたり講演をしたりすることでビジネスパーソンの社会人としての生き方考え方をアドバイスすることでしょう。

仕事内容による貢献こそが重要であり、その仕事の報酬が多いとか少ないとかというのはあまり大きな問題ではありません。大事なのは、自分にしかできない仕事をしっかりすることです。

主体が会社であれば、その会社にしかできないことをして、世の中の役に立つこと。もちろん、上場会社ならば株主はその会社がより多くの利益が出るような活動を強く求めます。それは経済の原則上、当然の話ですが、「お金儲け」を目的にしてはいけません。世の中の役に立つ「良い仕事」をすれば、お金は後からついてくることが多いのです。

3年ほど前から、私は、首都ウランバートルにあるモンゴルの企業で毎年1回講演をしています。日本語を読むことができるその企業の代表者が、私がかつて執筆した何かの記事の中で紹介した、この「お金を追うな、仕事を追え」という藤本老師の言葉に感銘を受けたことが、講演のきっかけになりました。

この企業グループは現在、金融業やカシミア製造、トヨタのディーラー、ホテル経営などを手がけ、モンゴルを代表する一大企業グループに成長しています。それは、「仕事を追え」という姿勢の賜物で、この真理は世界のどこでも通用するものだと私は思っています。