「高いプレゼントをあげたのにお返しはこれだけ?」

現代の恋愛は、『青春の門』と比べて形式は高まっていって、すべての人がチョコを渡したりと一見恋愛しているように見えますが。実は増えているのは恋愛システムだけかもしれない。会ってディナーをしてプレゼントを買って渡すという消費行動であって、商業主義にのっているだけなのかもしれないのです。

その上、最近では若い人たちまでが高額なブランド品を贈り合っていて、「自分はいくらのものをあげたのに、相手からはこれしかもらってない」と、交換し合ったものの金額が愛のバロメーターのようになってしまっているところもあります。

それが本当だとすると、経済格差が愛の格差にも直結していくということになるわけです。受験勉強のように、すべてを偏差値化したことによって今度はプレゼントの偏差値が悪い子たちの恋愛が阻害されるようになる。

日本がこれだけ経済的に豊かになったということで、みんなの持つ経済的な偏差値が一時期すごく高まったわけですが、今、社会は経済的には縮小に向かっています。先進国では、右肩上がりの経済成長の時代は終わりました。というより、自分もみんなも儲かって、やればやるだけ見返りがあるという時代が特殊例だったのです。

そうすると、今までプレゼントに使えていた金額がもう使えなくなる。そのことで、関係性がおかしくなってしまうような時代に入っているということになりはしないでしょうか。今を何とかしのいでも、今後「お金をかけてモノをたくさん動かしたほうが幸せ」という社会はもう構築できないのです。

そうなってくると、これからは愛の時代に入ってくると思います。恋愛システムへの依存からは早めに手を引き、たいして贅沢ができなくても自由で生きる喜びが湧き上がってくるような時間を多く作ることが、恋愛エネルギーを活性化させることになっていくのだと思います。

義務感にとらわれずに自分の思いを伝えるには

たとえば夫や恋人が、ちょっとしたお花を買ってきてくれて、「君のことを考えながら歩いていたらちょうどお花屋さんがあって、思わず買っちゃったよ」と言ったらどうでしょう?

特に記念日でもないのだからそんなに豪華な花束ではないはずで、一輪だけかもしれませんが、「君のことを考えていたら」というごく短いストーリーがついてくることによって、「その人の中に私はちゃんと存在しているのだ」ということを実感し、うれしい温かい気持ちになれるのではないかなと思います。

市場経済の活性化によって、いろいろなものがマーケティングに支配されていきます。恋愛の楽しみもどんどんシステムにのっとられて、「バレンタインデーだからチョコレート」「誕生日だから○○」と、義務感が強くなっていきます。