ある企業で働く人たちを対象に意識調査を実施した際に、面白いことがわかった。同じ職場で同じ業務を担当していても、給料が安いとか残業が多いとか仕事にやりがいがないなど会社や仕事に対する不満が多い人がいる一方で、お客さんから直接反応があるからやりがいがあるとか自分の成長につながっていると感じるなどと満足感を示す人がいるのだった。

現実のもつ意味というのは、結局のところ本人が感じ取るものである。客観的な職場環境や業務内容が問題なのではなく、それらを本人がどう受け止めるかによって、仕事生活の意味が決まるのである。

後悔や挫折の「その先」を考えること

人生の意味も同じだ。自分はろくな人生を生きていない、こんな人生には意味など感じられないと、日々の生活の虚しさを嘆く人がいる。なんでこんな人生に追いやられてしまったのかといった絶望的な気持ちに陥っていたりする。

だが、その人の人生そのものが悪いわけではない。その人が自分の人生にポジティブな意味を見出せずにいるところが問題なのだ。自分の人生に対して、「意味がない」とか「虚しい」といった意味づけをしているのは、紛れもなく本人自身なのである。

人生は思い通りにならないことの連続だ。プライベートや仕事上の人間関係、勉強面や仕事面の実績など、思い通りにならなかったさまざまな出来事を経験し、後悔や挫折感を味わうものだ。

だが、大事なのはその先だ。それぞれの思い通りにならなかった出来事からどんな意味を汲み取るか。それによって、過去のもつ意味が違ってくるし、自伝的記憶の雰囲気が違ってくる。

自分の生い立ちをどう意味づけるか、自分の人生の意味をどうとらえるかは、結局のところ自分しだいなのである。生い立ちそのもの、人生そのものに元々の意味があるわけではない。自分がどのような意味を与えるかによって、生い立ちの意味、人生の意味が決まってくる。

ゆえに、自分の視点が変われば、経験した事実は変わらなくても、自伝的記憶のもつ雰囲気がネガティブなものからポジティブなものへと変わるのは十分あり得ることなのである。

過去の記憶は塗り替えることができる

このように自伝的記憶というものは、けっして過去の時点で固定されたものなどではなく、現在の自分の視点からつくられたものなのである。このことは、とても重要なことを私たちに教えてくれる。

それは、自伝的記憶は書き換えることができ、私たちは自分の過去を塗り替えることができるということである。

私たちの記憶が教えてくれる自分の過去の姿は、今の自分の視点から見たものにすぎない。ゆえに、今の自分の心理状態が変わり、違った視点で振り返るようになると、自分自身の過去の見え方が違ってくる。