過去を振り返ると嫌な記憶ばかりがよみがえり、人生を肯定的に捉えられない人がいる。MP人間科学研究所代表の榎本博明氏は「こういう人は現状の生活に不満を抱えている場合が多い。中でも10~20代の記憶はよく思い出す傾向があり、今の心理状態で過去の印象が決まりやすい」と指摘する――。

※本稿は、榎本博明『なぜイヤな記憶は消えないのか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。 

※写真はイメージです(写真=iStock.com/FREEGREEN)

アルバムのように更新される「自伝的記憶」

「自分の人生、いったい何だったんだろう?」といった思いがふと脳裏をよぎることがある。何かで行き詰まりを感じるときだ。そんなときは、ほぼ自動的にこれまでの人生を振り返っているものだ。

自分はどんな人生を歩んできたのだろうと自らに問いかけるとき、私たちは記憶をたどることになる。自分の人生は、自分自身の記憶を掘り返すことによってしか理解することはできない。

私たちの記憶の中には、物心ついてからのありとあらゆる出来事やそれにまつわる思いが刻まれている。そこにまた、日々新たな経験を刻み込んでいく。自叙伝というと、著名人にしか縁のないものと思われるかもしれないが、すでに述べたように、じつはだれもが自叙伝を綴るように日々の経験を記憶に刻みながら生きているのである。そのようにして綴られ、日々更新されていく記憶のことを、自伝的記憶という。

アルバムを引っ張り出し、小学生時代の遠足の写真や運動会の写真、家族旅行の写真を見ていると、当時の出来事がいろいろと思い出されてくる。高校時代のアルバムを開くと、当時の友だちとの間の出来事が懐かしく思い出される。アルバムには、自伝的記憶を喚起する力がある。

子どもの頃に使っていた野球のグローブをみると、少年野球をしていた頃の出来事がつぎつぎに思い出されてくる。若い頃に、ひとり旅したときに買ってきた置物や瓶に詰めた砂を眺めていると、旅先で出会った仲間たちとの記憶が蘇ってくる。思い出の品も、懐かしい思いと同時に自伝的記憶を喚起する。

どこまで記憶をさかのぼれるかやってみよう

若い頃に日記をつけていたという人は少なくないが、大人になって忙しい日々を送るようになるにつれて、いつの間にか日記をつける習慣がなくなっていることが多い。引っ越しで荷物の整理をしているときなど、数十年ぶりに昔の日記を発見し、パラパラめくってみると、自分自身の人生についての再発見があるものだ。

日々の出来事やそれにまつわる思いを綴った日記は、まさに自伝的記憶の素材の宝庫である。自分の若き日の日記を読むのは何とも気恥ずかしいものだが、そこには久しく思い出すことのなかったかつての自分が息づいている。

あなたの人生も、自伝的記憶として心の中に保たれている。そのことを理解していただけたと思う。では、目をつぶって、心のスクリーンにあなたの自伝的記憶を映写してみよう。どんな場面の記憶が浮かんでくるだろうか。