「虐待は愛の証し」という価値観で自己正当化

何よりも厄介なのは、④自分は正しいという信念である。もちろん、子どもを虐待している自覚などない。

こうした信念は、先ほど取り上げた勇一郎被告にも認められる。勇一郎被告は、警察の取り調べで「しつけで悪いとは思っていない」と供述したようだが、おそらく本音だろう。

筆者の精神科医の片田珠美氏が今月上梓する『子どもを攻撃せずにはいられない親 』(PHP新書)

死に至らしめるほどの暴力を「しつけ」と称するのは、理解に苦しむし、責任逃れのための詭弁ではないかと勘繰りたくなる。だが、虐待の加害者のなかには、虐待を愛情の証しとみなしていて、「愛しているから、あんなことをした」と話す者が少なくない。

勇一郎被告も、「虐待は愛の証し」という価値観の持ち主だったのではないか。このような愛情と虐待の混同は、虐待の加害者にしばしば認められ、自己正当化のために使われる。自己正当化によって、自分は正しいと思い込んでいるからこそ、あれだけ激しい暴力を子どもに加えるのだろう。

こうした自己正当化は、教育虐待をする親にとくに強いように見受けられる。子どもを罵倒するのも、暴力を振るうのも、子どもの将来のためだと思っている。当然、自分が悪かったとも間違っていたとも思わないし、決して謝らない。

教育熱心な親ほど、教育虐待に走りやすい。そのことを肝に銘じ、4つの特徴が自分自身にもあるのではないかと親はわが身を振り返らなければならない。そして、子どもが一定の年齢以上になったら、親と子は別人格と割り切るべきである。

(写真=iStock.com)
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