「もうこれ以上、コーチングできません」
「すみません、頭が真っ白になりました……パニックです。もうこれ以上、コーチングできません」。彼は言った。
5年前、日本ラグビーの若手世代強化を担うトップレベルの指導者が集まるコーチ研修会での出来事だ。そこでは参加しているコーチが入れ替わりで、ゲーム中のさまざまな場面を仮設定し、指導実践を行うという研修を行っていた。
研修が始まり、参加コーチのひとり、樋口猛(新潟工業高校)の出番になった。彼は自信ありげにはじめたものの、後半が始まってしばらくすると、雰囲気が急変し、こうつぶやいた。
「あれー、俺、いま何やっているんだろう。うわー、やっちまった……」
グラウンドの真ん中でひとり呆然と立ち尽した。重く暗くなった空気のまま、沈黙がしばらく続いた。彼だけではなく、それを囲むコーチたちもその様子に困惑し、気まずい雰囲気が流れた。その彼は、数多くの実績を残している誰もが知るコーチだったからだ。例えると有名な料理人が、テレビ番組で料理の腕前を披露しようとして失敗するようなものだ。
「正直であり続ける」という指導哲学
一般的に、スポーツの指導現場では、仮にコーチングに失敗したとしても、意外に誤魔化しが利いてしまう。通常、選手のパフォーマンスに関する過失(ミステイク)は明らかだが、コーチングの過失(ミステイク)を明確に指摘することはとても難しいからだ。もしかすると、この樋口氏のケースも、仮に失敗があったとしても、設定時間終了まで当たり障りのないコーチングを継続することはできたかもしれない。
しかし、彼の素晴らしいところは、自らすすんで、気持ちを誤魔化すこともなく、正直に自らの降参を認めた。それは誰が見てもとても恥ずかしかっただろうと感じる場面だった。彼は、常に「正直であり続ける」ことが指導哲学であり、それは選手だけでなく、自分にも常に課しているテーマだったのだ。要するに、自分の揺るぎない指導軸を正しく認識しており、それがいつ何時、他者から見た場合にも一致しているかに拘っていたということ。内的自己認識と外的自己認識の両方を発揮していた場面といえよう。
その後の彼は、素直に学びに徹した。その様子は、誰が見ても本当に格好良く見えた。彼の姿勢そして成長をずっと見ていた私は、そのシーズンの日本ラグビーU19日本代表監督のポストを、彼にお願いすることにした。