※本稿は、ターシャ・ユーリック著、中竹竜二監訳、樋口武志翻訳『insight(インサイト)――いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』(英治出版)の「監訳者あとがき」を再編集したものです。
自分の存在は他者と向かい合うことで確立される
ロンドン下町っ子と呼ばれるコックニーの青年は、同じロンドンに住む人から「あなたは何者か?」と尋ねられると、誇りを持って「私はコックニーだ」と答えた。そんな彼が同国オックスフォード州を訪れ「あなたは何者か?」と問われると、「ロンドン人だ」と答えた。さらに彼はフランスに渡り、同じ問いに「私はイギリス人だ」と答えた。同じように、アジアに行けば「ヨーロッパ人だ」と答え、将来、宇宙を旅して、違う星の人に尋ねられたら、「私は地球人」と自らを紹介するだろう。言うまでもなく、「彼」は同じ人。つまり、彼は出会う人ごとに、自己(アイデンティティ)を変化させるのだ。自分の存在とは、己だけで成り立たず、他者と向かい合うことによってはじめて確立される。
これは、約20年前、私が英国レスター大学大学院に留学している時に書いたエッセイの一部だ。専攻は社会学でテーマは「自己の探求」だった。私は福岡県の田舎で生まれ、早稲田大学に入学と同時にラグビーに明け暮れた。卒業後は、縁も馴染みもない異国の地で、自分を再スタートさせたく、人類学と社会学に没頭した。そんな中、時折、隙間風のように問いが襲った。
「僕は、一体何者なのか?」
ごまかしながら「いつもの自分」を再稼働
普段は考えないけれども、時々浮かび上がるこの問いは、いつも私に焦りと不安を与えた。例えば、壁にぶつかった時、先が見えなくなった時、人種差別を受けた時、他人の指示に従いたくない時など。そして、この世で私は本当に役に立っているのか? ここに存在する意味があるのだろうか? 本当は何がしたいのだろうか? 本当に今のままで良いのだろうか? と、あたかも「本当の自分」がもうひとりいるかのように、自分を疑い始めた。
悶々として、心地悪さがしばらく続く。なぜなら、これまでの自分や現在の自分を疑い、否定せざるを得ないからだ。だから、この質問に答え切ることなく、ごまかしながら、いつもの自分を再稼働させていた。
皆さんも、同じような問いが、ふと浮かぶことはないだろうか? これまで、多くのビジネスリーダーやスポーツ界のトップコーチなどと仕事をしてきたが、社会的地位が確立された彼らでさえ、「私の存在価値って、何なのか?」「私は、本当に役に立っているのか?」「私は一体、何がやりたいのだろうか?」と自問を繰り返している人は少なくない。
もう一つ、私を困惑させる問いがある。