これからの社会では問題定義と課題発見能力を高めていく必要がある。明治大学の小笠原泰教授は「そのためには子供のころから、海外旅行などいろいろな社会と触れる経験をさせて、常識を考え直させることが重要だ」と指摘する――。

※本稿は、小笠原泰『わが子を「居心地の悪い場所」に送り出せ 時代に先駆け多様なキャリアから学んだ「体験的サバイバル戦略」』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

「点取りゲーム」に勝てば人生が確約された

昨今、予備校や塾には、「勉強の内容」ではなく、「勉強のやり方」を教えることが一層求められています。点取り競争という非常に単純な競争(ゲームというべきかもしれません)において、その最終目的は、東京大学を筆頭とする偏差値のより高い大学に合格することです。

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/amriphoto)

これまでは有名大学に入学できさえすれば、その後の卒業と、一流大企業への終身雇用での就職(正確には、就社)が確約されていました。つまり、偏差値の高い大学に入学すれば、その時点で、人生一丁上がりの時代であったので、試験の点取り合戦で、いかに効率的に点数を上げるかのテクニックに、学生、親や受験産業の目が行ったのは道理でしょう。

しかし、「加速化する技術革新と融合したグローバル化」が進む中で、「こうしておけば安心」の前提である終身雇用と年功序列を維持することは難しくなり、社会における「正解」は何かが分からなくなりつつあるのです。グローバル化する今後の社会を生き抜いていく上で、学生や若い社会人は、社会に染みついたテクニック、ハウツー志向から決別をしなければなりません。理由は、大きく2つあります。

考えずに答えを暗記してしまう日本の教育

1つ目は、「一つの正解がある」時代は終わったということです。仮に正解が存在し、それが1つであれば、それに行きつく解法のパターンを、より多く頭に入れた方が正解率を上げられます。しかし、それは考えた上で手に入れたものではなく、解法パターンの暗記です。

実社会には正解はないと言いましたが、もし正解があるとしても、重要なことは正解を「知る」ことではなく、正解の背後に何があるのかを「考える」ことにあります。しかし、日本の教育は正解を知るためのテクニックやハウツーに走り、そもそも何を問題として捉え、何に対する正解を探求すべきなのか、正解の背後に何があるのかをないがしろにします。ここに、日本の教育の大きな問題があるのです。

日本社会にとってもう1つ厄介なことは、日本社会のお家芸とも言えるプロセス遂行偏重の傾向です。この傾向は、モノづくりに始まり、日本社会の隅々で見受けられます。この観点で考えると、一つの正解に至る最も効率的な方法、ツボとコツであるテクニックも、自明な目標を達成する上での速くて容易と思われるやり方であるハウツーも、ともにプロセスであり、日本人は、このプロセスを粛々と磨いています。正解はさて置いて、テクニックやハウツーというプロセスを磨くこと自体に注力してしまうのです。