企業の本音は、人手不足の解消にある。そのためには、むしろ日本語など覚えてくれない方が望ましい。不満も漏らさず、長期間にわたって日本人の嫌がる仕事を担ってくれる外国人こそ、企業が求める存在なのである。

とはいえ、外国人労働者を労働市場の底辺に固定すれば、日本人の賃金が抑えられる要因となる。また、人手不足が緩和したとき、最も先に失業するのは外国人である可能性が高い。そんな事例は、最近もあった。2008年の「リーマンショック」後がそうだ。東海地方などでは、ブラジル出身者を中心に日系人の失業が大問題となった。

リーマンショック後に起きた「使い捨て」

日系人の受け入れは、1990年代始めから始まった。同時期に受け入れが開始する実習生と並び、バブル経済で進んだ人手不足解消が目的だった。以降、南米諸国を中心に出稼ぎ目的の日系人が大量に流入し、リーマンショック前にはブラジル出身者だけで30万人以上に上っていた。その数は、ちょうど現在の留学生にも匹敵する。

日系ブラジル人は日本語が不得手な人が多かった。リーマンショック前後、私も日系ブラジル人社会を取材していたが、20年近く日本に住んでいながら、日常会話すらできない人が多いことに驚かされた。両親や祖父母が日本人であっても、彼らはポルトガル語で育っている。そして日本に来て以降も、日本語を使わず生活できた。

日系ブラジル人の多くが就いていた工場での派遣労働は、日本語が不自由でも十分にこなせたからだ。また、ブラジル人コミュニティで暮らしていれば、普段の生活も日本語は必要なかった。日本語なしで生活できるという点で、現在の偽装留学生とも極めて似通った環境である。

日系人には日本での定住、永住の道が開かれている。そこにリーマンショックが起き、失業者が急増した。彼らには職業選択の自由もあったが、日本語が不自由なため、肉体労働以外では仕事が見つけにくい。そんな日系人たちの失業が長引けば、行政が負担する社会保障費は増え、治安の悪化も懸念された。

そこで日本政府は「帰国支援金」の制度を設け、日系人たちに帰国費用を渡し、母国へと送り返そうと努めた。制度に対しては、海外からも批判が相次いだ。政府のやり方が、外国人の「使い捨て」と受け取られたのだ。